地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

会津の「わたつみ」にかかわる資料について②

 「戦争経験を聴く会語る会」に参加された方の講演メモから、信氏の所属する「と号第三十一飛行隊隊」の概要部分をお借りする。

 特攻4隊は昭和20年(1945)2月10日満州新京(現・吉林省長春)で以下の特攻隊四隊が編成される。この中の誠第三十一飛行隊(武揚隊)が、長谷川信氏が所属する隊だ。
 〇 武揚隊=と号第三十一飛行隊山本中尉以下 15名 機種・九九襲
 〇 武剋隊=と号第三十二飛行隊広森中尉以下 15名 機種・九九襲
 〇 蒼龍隊=と号第三十九飛行隊笹川大尉以下 15名 機種・一式戦
 〇 扶揺隊=と号第四十一飛行隊寺山大尉以下 15名 機種・九七戦

 武揚隊=と号第三十一飛行隊には、以下の15名が所属する。

 山本  薫  中尉 23歳 陸士五六期 特攻戦死 昭和20年5月13日 徳島
 五十嵐 栄  少尉 24歳 特操一期  特攻戦死 昭和20年5月13日 山形
 柄澤甲子夫  伍長 21歳 航養十四期 特攻戦死 昭和20年5月13日 長野
 高畑 保雄  少尉 22歳 幹候九期  特攻戦死 昭和20年5月17日 大阪
 五来 末義  軍曹 19歳 航養十四期 特攻戦死 昭和20年5月17日 茨城
 長谷部良平  伍長 18歳 少飛十五期 特攻戦死 昭和20年5月22日 岐阜
 藤井 清美  少尉 24歳 幹候九期  特攻戦死 昭和20年7月19日 京都
 長谷川 信  少尉 22歳 特操二期  戦死   昭和20年4月12日 福島
 西尾 勇助  軍曹 20歳 航養十四期 戦死   昭和20年4月12日 千葉
 海老根重信  伍長 19歳 航養十四期 戦死   昭和20年4月12日 茨城
 飯沼 芳雄  伍長 19歳 少飛十四期 戦死   昭和20年7月19日 長野
 中村 欽男  少尉     幹候    生還
 力石 文夫  少尉     特操二期  生還
 吉原  香  軍曹     航養十四期 生還
 春田 政昭  兵長     少飛十五期 不明

「会津の「わたつみのこえ」を聞く32」でふれたように、ここで力石文夫氏とされる生還者は、「明治学院百年史」がいう「信と同じ第一次「学徒出陣」組で特捜2期生だった力石丈夫(神奈川県在住)」氏とされる方と同じ方だろうと思われる。
 また、ここで中村欽男氏とされる生還者は、「明治学院百年史」の中村メモ者である「中村敏男(大分県在住)」氏だと思われる。この方は、信氏の上官で、台湾に向かう時の交戦で、右肩撃ち抜かれ左腕に盲貫、顔面に破片による裂創を負い戦闘不能となり、低空飛行で与那国島に向かい不時着された方だ。
 http://kazenoshin.exblog.jp/23904097/

 「会津の「わたつみのこえ」を聞く36」で最終的に確認したように、長谷川信氏の菩提寺に奥さんと尋ねて来た方は、生還者の吉原香軍曹(茨城県出身)だと思われる。
 この方は、済州島へ飛来した時点で機が不調を起こして不時着したとのことだ。この時に怪我を負ったようだ。
 この方は、古河地方航空機乗員養成所で同期だった扶揺隊の生き残り久貫兼資氏が、茨城県古河市まで会いに来たことがあるらしいという情報とつながる。
 また、八紘荘の海老根軍曹の言からは、三十一飛行隊の海老根氏、柄沢氏、五来氏、吉原氏は、同期生であり、他に4名が朝鮮、上海経由で台湾に行く事になったとあるその「他に4名」の中に、長谷川信氏も含まれていると思われるということだった。
 http://kazenoshin.exblog.jp/23913509/
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by shingen1948 | 2017-09-19 10:15 | ブロクとわたし | Comments(0)