会津へ「わたつみのこえ」を聞きにいく⑯:戸ノ口の風景とその変遷⑥
2017年 09月 09日
荷揚げされたそれらの資材は、工事専用軌道で工事現場まで運ばれたという。
その工事軌道跡については、「街道Web」の「猪苗代第一発電所工事軌道(河東町)」に「戸ノ口専用鉄道」として、その詳細が記されている。
http://kaido.the-orj.org/stop/dai1/dai1-04.htm
ここまで確認作業を進めてきたのは、自分を「きけわだつみのこえ」に紹介される長谷川信氏の世界に導いて下さった木村健氏が、この「戸ノ口専用鉄道」廃道後の道筋を使って長谷川信氏の石碑を訪ねてきているらしいことが分かったからだ。
その取材については「下北沢X新聞(1676) ~武揚隊、一特攻兵士の故郷を訪ねて5~」に記されるが、この様子を確認するための下調べということでもあったのだ。
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/51704035.html
氏は、本当は長谷川信氏と同じように会津若松市から20㎞の道を歩くことも考えたようだが、無謀なので磐越西線磐梯町駅からの歩きとしたとのことだ。
その描写から、まずは、現・磐越西線磐梯町駅(旧大寺駅)から、猪苗代第一発電所地内まで敷設されたとする工事専用軌道廃線後の道筋を歩いたことが分かる。
そこで、一度不安になって駅まで戻り、その道筋でよいとの案内を受けて、その奥まで進み始める。発電所の奥の橋を渡って突き当たった道筋が、「街道Web」が紹介する「戸ノ口専用鉄道」廃道後の道筋なのだと思う。
次に、その「戸ノ口専用鉄道」廃道後の道筋を東進したのだと思う。
ゴルフ場を過ぎて「そのうちに大きな水路にぶつかった」というのが、現在の「戸ノ口堰取水口」辺りの風景なのだろうと思う。
そこまでに見え隠れしていた水路についての描写はないが、それが発電所用の水路で、この水路の工事用資材と膳棚山から猪苗代第一発電所に落とし込む水路の資材が、この「戸ノ口専用鉄道」で運ばれていたのだろうと想像する。
木村氏が「ナリ会津ゴルフ場」を過ぎたあたりで訪ねた数軒の集落は、戸の口原の集落とのことなので、別名大野原の集落だろうと想像する。(氏は、ここを戸ノ口集落の本村と勘違いしているように思う)
そこから軽自動車に乗せられて「戸ノ口原古戦場」に向かい、二本松裏街道の道筋か、湖畔沿いの道筋にそって向戸ノ口を経由して十六橋に向かったのだと思う。
そして、その十六橋を渡って地蔵堂を過ぎて「長谷川信碑」に辿り着いたということのようなのだ。
木村健氏は児童文学作家とのことだが、自分が持つ児童文学作家という肩書からイメージする姿からは想像できない程の行動力に驚く。
自分には地元意識があったのだが、その意識だけでは彼の行動の詳細を捉えることはできなかった。
いろいろな確認を通して、ようやく彼の歩いた道筋とその背景が想像できたということだ。