会津へ「わたつみのこえ」を聞きにいく⑫:戸ノ口の風景とその変遷②
2017年 09月 04日
「国立国会図書館デジタルコレクション」の「写真の中の明治大正」に「仁山智水帖【光村写真部(明治35年6月)」が紹介され、その中に当時の十六橋が紹介されている。
この橋が、明治13年に江戸期の橋を取り払って架け替えられただと思う。猪苗代湖の水深を調整するための水門と兼用の石橋であることがよく分かる。
この水門の西端は戸ノ口堰の取水にかかわる水門で、東端の水門は布藤堰の取水にかかわる水門で、その他の水門が猪苗代湖の水深を調整するために日橋川本流の水量を調整するためのものということだろうと思う。
この猪苗代湖の水深を調整する水門が必要になったのは、基本的にはここと反対側に流す安積疏水用の水を確保するためだ。
しかし、実際には、猪苗代湖の水位を保持しつつ、戸ノ口堰・布藤堰の取水量の確保も改善するため日橋川の河床を下げる工夫もしているとのことだ。
後に整理することともかかわるので記しておきたいのは、この水門の実際の管理を地元の水深にかかわる舟問屋とかかわりのある方に委託しているようだということ。
共存を目指した関係者の気持ちの調整もなされていたということでもあるような気もする。
なお、街道にかかわる散策でお世話になっている「街道Web」では、「秋元橋(北塩原)」の項にこの十六橋の遺物の所在が整理されている。
http://kaido.the-orj.org/hasi/aki.htm