会津へ「わたつみのこえ」を聞きにいく⑨
2017年 09月 01日
その戸の口艇庫跡には立ち寄らなかったが、強清水の茶屋での一休みはしている。
ただ、「戸ノ口艇庫から徒歩で家路につく途中に一休みする強清水の茶屋」というイメージを持って意図的に立ち寄ったということではない。
昼時でもあったので、何時もそうするように、ここで蕎麦を食べたというだけだ。
昔は饅頭の揚げ物もおいしく食べたが、最近はニシンの天ぷらとイカの天ぷらが付いてくる蕎麦のセットで注文することが多い。ここのイカの天ぷらというのは、実際にはスルメの天ぷらだ。昔は、このセットメニューに饅頭の天ぷらも入っていたような気がする。
これはその茶屋から撮った強清水だ。蕎麦を食べていたら、何かの撮影隊がここを取材していた様子を何となく撮った写真だ。
言い方をかえれば、強清水の茶屋での一休みはいつもの日常的なことでしかないのだが、今回は、そこに隠れていた今まで知らない物語を感じているということだ。しかも、自分にはその物語に接触するチャンスは多々あったのに、である。
さて、「伝統の戸ノ口精神」とかかわる小林先生の描写を拾ってみる。
氏は「伝統の戸ノ口精神」を培うのは、猪苗代湖の感化力だろうとする。
「先輩諸兄が、戸ノ口の教育力を口にされるが、ボートを漕いだことと共に、それ以上にあの風景景観に大きな感化を受けたのだろう」とする。
その風景景観感化力にかかわる描写を拾う。
「オールを揃えて漕ぎ出せば(自分では漕げないので威張って乗せてもらって)翁島を横に見過ごし、長浜の上空に聳える磐梯山を仰ぐ時のあの壮大神厳な感激。暁の霧をついてガボッガボッと朝漕ぎに出れば、文字通り鏡の如き湖面を伝わって遥か遠い船上の声が手近に聞こえ、胡麻粒のように見える鴨の群れがパタパタと姿を大きくして森に向かって虚空を横切るあの静寂。空と山と水の織り成す大いなるものに包まれて営まれるいと些かな人間同志の信頼親睦協同の業の魅力に惹かれて、性懲りもなく戸ノ口通いをするのだろう」
「魅力に惹かれて、性懲りもなく戸ノ口通いをする」若者の様子の描写も拾ってみる。