会津へ「わたつみのこえ」を聞きにいく④
2017年 08月 24日
特に記名はないが、昭和になっての「はじめに」に自己紹介されている内容と執筆者紹介に「明治42年(1924)生:相馬女子高校長(元会津高校教諭)昭和5年~32年」との紹介との矛盾がない。
その「六 戸ノ口とモンタ婆さん」の項で、会津中学ボート部顧問になる事情とボート部の様子が記されて、その項の最後に「戸ノ口にまつわる悲話一つ」との書き出しで、長谷川信氏のことにふれてまとめとしている。
その最後の最後は、「私の妻は小学校時代の信君の受け持ちだった。本当は妻に別れを告げにきたらしい」ということで、「彼女信君の戦没を悼む」として、次のように〆られる。
垂乳根(たらちね)の生ましし命光なして空にかえりぬ汝が生まれし日に
戦いは止みぬといふに与那国の海ゆ還り給はず
若き命傾け尽くし与那国の海に君は眠るか
小林先生の奥様敏子さんは信氏を偲んで短歌集「湖畔の碑」10首を詠んでいて、それが短歌研究(昭和43年9月号)に佳作作品として掲載されている。
まずは、その事にかかわる次の2首の紹介を見つけ整理している。
特攻隊にて飛び立つ前の乱れなき
葉書の文字がわれを泣かしむ
死ぬる為に君生まれ来しや戦死せる
幼き面輪に香華はのぼる
次に、別の資料で次の一首の紹介を見つけて付け加えた。
特攻機にて基地発つ君がよこしたる
最後の文字「シアワセデシタ」
更に、しばらくして気になっていた以下の残りの7首も確認できた。
湖(うみ)近き芒の中に君が碑を見出でて佇ちぬ霧深き中
生と死に分かれてここに二十年碑(いしぶみ)に願つ君がおもかげ
「わだつみの声」に載りたる君がことば彫りし碑面に雨横しぶく
君が碑をかこみて高く繁り立つ芒穂群に風渡りゆく
ゴム長とシャベルを持ちて訪ね来し君の碑の文字雪原に冴ゆ
雪原に黒く小さく碑は浮かび湖畔の道を今は離りぬ
駅に君を送ると背負ひし幼児も空に果てにし君が年となる
今回確かめている「会高通史」に寄せられているのはそれとは別で、「戸ノ口にまつわる悲話一つ」にかかわる彼女の「信君の戦没を悼む」思いを新たに寄せたようだ。