地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

会津へ「わたつみのこえ」を聞きにいく②

 これは、十六橋から猪苗代湖側を眺めた風景だ。
a0087378_13505975.jpg 正面の水路奥に見える橋が金の橋だと思う。
 「会高通史」に「会津中学校端艇部戸ノ口艇庫」にかかわって、次のように紹介される「昭和18年に十六橋反対側にできた新水路」とあるその水路だろうか。

 「昭和18年、十六橋反対側に新水路が出来た頃から湖面低下の為、桟橋まで水が届かず、幾度か桟橋を切り下げたが底の石が露出してきて船を外洋に出せず、少し離れた平屋の小屋から新艇と称するレースボートを皆で持ち上げて出すのがやっとだった」とある。

 その「会津中学校端艇部戸ノ口艇庫」は、この写真では右手西の影になっている日橋川本流の奥にあったようだ。街道筋としては、「街道Web」の「二本松裏街道戸ノ口→強清水」で、「向戸ノ口」と紹介される集落だ。
 http://kaido.the-orj.org/kaido/ura/08.htm
 ここには湖上水運の船宿が二軒あったそうで、大変賑わっていたのだそうだ。

 この事と、「会津中学校端艇部戸ノ口艇庫」がここに設置された事とがかかわっているのだろうと想像する。
 また、ボート部合宿の世話とこの二軒の船宿の情報もつながっているような気がする。
 「会高通史」によれば、ボート部顧問の小林氏が宿泊したのは、定宿「〇コ」五十嵐宅とのことだ。また、ボート部の宿泊の世話をしてくれたのが、「モンタ婆さん」とのことだが、この方の本名は、古川トラさんのようなので、「モンタ」は屋号なのかもしれないとも思う。

 位置的には、定宿「〇コ」が「会津中学校端艇部戸ノ口艇庫」の西向い、「モンタ」が艇庫の道を挟んだ南西側のお宅だろうか。
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Commented by TUKA at 2017-08-24 17:19 x
「新水路」というのは、小石浜取水門のことではないでしょうか。
私のHPでは昭和16年完成としてますが、この水門完成以降水面低下が顕著になり、
安積疏水では揚水ポンプを導入することになりました。
現在、上戸や疏水事務所に展示されてます。

http://kaido.the-orj.org/stop/dai1/dai1-04.htm
12年前には小型ボートが見られました。(地図リンクは切れてます)
Commented by shingen1948 at 2017-08-25 18:15
情報ありがとうございます。
戸ノ口堰変遷を確認している時に、その小石ケ浜水門の解説に「利用水深はそれまでの3倍に増大しました」とあるのを見つけていました。3倍の水深まで利用ということから、これが湖面低下の原因だろうと思いました。
先の水路は、湖面低下に伴う耕地への取水とかかわるのかなと想像していますが、今のところ確認はできていません。

by shingen1948 | 2017-08-22 13:52 | ◎ 福島と戦争 | Comments(2)