地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

山中毅さんの訃報に接して⑬

 会津高等学校の春の選抜甲子園出場に貢献したのは、黒沢投手と渋谷捕手のバッテリーだという大人達の会話だが、このバッテリーにかかわる思い出がある。
 ただ、この記憶は曖昧だ。
 少なくとも渋谷捕手が投球練習の球を受けている姿を見かけていると思っている。ただ、これが中学校の校庭だったという記憶なのだ。

 走り幅跳びの砂場前の助走路だったと思うのだ。
 その助走路の脇の低鉄棒近くで見ていたのだが、これが衝撃的な体験だった。
 投手が投げた球が、渋谷捕手のミットにおさまる瞬間の音だ。球と空気が擦れ合う音が鮮明に聞こえると直ぐに、その球がミットにおさまる衝撃音のすごさだ。かなり離れているはずなのに、思わずのけ反ってしまったのだ。

 しかし、この記憶どこか納得いかないところがあるのだ。
 まずは、何故見かけたのが中学校の校庭だったのかということだ。次に、それが事実だとして、自分が見かけているのが何故渋谷選手と分かっているのかということだ。

 今回整理していく中で思ったのが、N先生とのかかわりだ。
 N先生が中学校の先生だった時には、野球部の顧問だったのだ。その野球部は、県大会だと思うのだが、そこで優勝している。この記憶に間違いないとおもうのは、その壮行会と報告会に自分もかかわりがあるからだ。

 この会、野球部の保護者達が企画したようなのだが、ちょっと配慮しなければならない事が起きたのだ。
 昔、放送陸上大会というのがあったのだが、それに全会津代表として出場する選手がいたのだ。こちらは個人的な話なのでそんな計画はない。それで、その会にその選手もまぜてあげたのだ。
 その選手というのが自分なのだが、こちらとしてはいい迷惑だというのが本音だったのでよく覚えているのだ。

 先に整理したように、その野球部顧問N先生は、幼馴染のS.Y一郎君のお宅の部屋を借りて住んでいらっしゃたのだ。そして、そのS.Y一郎君のお父さんが会津高等学校野球部にかかわりのある方だったのだ。その上に、N先生は、3年後には会津高等学校に転勤になるという経緯もあった。
 それらのかかわりで、実践指導の援助を受けたのではないのかなと想像だ。その時に見た事なのだろうとの想像だ。
 だとすれば、この時の渋谷選手は大学生のはずで、黒沢選手は肩を痛めてしまっている頃になる。
球の勢いに度肝を抜かれてしまった投手は、中学生ではなかったのは確かなので、まだ高校生だったという可能性が高いかな。
[PR]
by shingen1948 | 2017-04-01 09:51 | ☆ その他の話題 | Comments(0)