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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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会津へ「わたつみのこえ」を聞きにいく

 先に「会津の『わたつみのこえ』を聞く」として、資料をもとに長谷川信氏について確認している。この時に、会津に出かける時には、ぜひ長谷川信碑を訪ねてみたいものだと思っていた。

 今回、家族と一緒に会津若松市に出かけることになったので、向かう途中に立ち寄ろうと思った。家族には、出かける前にその概要を説明し、立ち寄りたい旨を話しておいた。

 碑のある位置は、「街道Web」がいう「二本松裏街道」筋の「戸の口村」を過ぎて十六橋より手前の右手にあたる。要は旧越後街道筋だ。
 その街道に沿っていくのには、天鏡閣、迎賓館を経由して九十九折れの五輪坂峠を経由して戸ノ口村に入るらしい。
 http://kaido.the-orj.org/kaido/ura/07.htm

 今回は街道筋の散策ではないので、国道49号線を進んで日橋川の金の橋手前から右手の道筋に入った。そこには、戸口集落を案内する標識も立っている。

 左手に日橋川の支流を感じながら林の中をしばらく進むと、右手に田園風景が開けてきて、その先に何かの記念碑が見える。
 そのまま進むと「二本松裏街道」にぶつかるが、この街道筋も結構整備されている。恐らく、現在は戸口集落へ向かう主要な道筋はこちらなのだろうと思われる。
 その道筋を右折してやや進むと「長谷川信碑」が左手に見える。
会津へ「わたつみのこえ」を聞きにいく_a0087378_6455478.jpg

 長谷川信 碑 
 俺は結局凡々と生き凡々と死ぬ事
 だろうだがたった一つ出来る涙を
 流して祈る事だそれが国泰かれか
 親安かれか知らない祈ることなのだ
  大正十一年      会津若松市に生まれ
       四月十二日
  昭和二十年       沖縄南方上空に散る

 先にも記したように、最後の日付の表記は、4月12日が彼の生まれた日であり、そして亡くなった日でもあることを表現している。
 家人は誕生日と亡くなった日が同じことを示す最後の碑文に驚いていた。

 この石碑は、両親の思いから昭和21年5月に建立されたそうだ。
 先の整理では、当初は湖の見えるところにあったのだが、道路拡幅のために100米余奥に移されたのが現在地らしいとしたが、そうではないらしい。当初から湖が見える所には建てることができなかったらしい。ただ、彼の思い出の地近くにこの碑を建てることができたということのようだ。
by shingen1948 | 2017-08-21 06:49 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)