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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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松川鉱山:古天神地内の精錬場跡の痕跡を求めて②


 「散策覚書「松川鉱山仲ノ内の変電所」跡⑦」では、地図上に描いた水路とのかかわりから古天神地内の精錬場跡を推定してみている。
 http://kazenoshin.exblog.jp/23812599/
松川鉱山:古天神地内の精錬場跡の痕跡を求めて②_a0087378_5531379.jpg この写真は、その鉱石の集積地を予測した宿地の☆印辺りの水路を西側から眺めたところだ。
 現地では、鉱石を砕く水車小屋を想像するには細いなと思ったのだが、家に戻って確かめると、この位の水路で充分機能する水車設置は可能らしいことが分かった。
 いろいろな水車の写真を確認してみると、水車の幅程度しかない水路に設置された水車小屋の風景も結構多い。水量や地形に合わせた設置の工夫や、水路の太さを改変して勢いを調整したりすることができるらしいのだ。

 先の推理では、製錬場自体はもう少し東側に予測しているのだが、これは地名に引きずられているところがある。というのは、この辺りの地名がまだ宿地なのだ。古天神はこの写真に写る民家付近からなのだ。それで、古天神地内になるように精錬場跡を予測したところだった。
 しかし、現地では、この辺りが精錬場跡であってもおかしくないなという感じになっている。

 精錬場跡あたりがこの辺りとすれば、松川鉱山からここまで通路南側に12ポンドのレールが敷かれていたという情報が重なる。そのレール上の1t積みの鉱車を馬が曳いて鉱石は運搬されていたとのことだ。そして、ここから松川駅までは荷馬車で運ばれていったという。
 
 この時代、八丁目宿は鉱石を運ぶ荷馬車の往来が激しかっただろうし、鉱山関係者や運搬車で結構賑わっていたのだろうことも想像される。
by shingen1948 | 2017-08-12 09:51 | 福島の鉱山 | Comments(0)