地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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山中毅さんの訃報に接して⑩

 訃報に接し、田舎では、映像で一流選手を目にすることのない時代に、このローマ五輪の翌年に山中選手が目の前に現れたという少年の日の昂奮の記憶を整理した。

 その昂奮の記憶の接点には、N先生の存在がある。
 先にも記したように、そのN先生にかかわる情報は、殆どが漕艇競技の指導者としての情報なのだが、当方は漕艇競技に興味がないものだから、それらの情報が直接的に思いでに結びつかなかった。

 しかし、ひょんなことから思いでに結びつくかもしれない情報を見つけた。
 「三四郎(夏目漱石)」の研究にかかわる論文の参考資料にN先生と同姓同名の方がかかわる情報を見つけたのだ。「夏目漱石『三四郎』の比較文化的研究(土屋知子)」
 その参考文献として挙げられているのは、「『25秒74』と『紫の猿股』【福島県喜多方商業高等学校『図書館報(第26号1985年2月)』】」だが、論文の本文には、「この『紫の猿股』を穿いて『200メートルの競争』を『25秒74』で走り抜けた人物は実在した人物で、藤井実という帝国大学法科大学学生であることがわかっている」とする方の名が挙げられているのだが、この方がN先生と同姓同名なのだ。
 福島県喜多方商業高等学校にかかわりのあるN先生と想像した漕艇競技指導者の方なのではないかなと想像したということだ。

 これは、「三四郎(夏目漱石)」の作品で描かれる「東京帝国大学運動会」にかかわる考察なのだが、その論文によると、この明治37年(1904)11月12日に行われた東京帝国大学運動会でのこの記録は驚異的な記録なのだそうだ。
 その藤井実氏は、明治35年(1902)11月8日の東京帝国大学運動会では100メートル10秒24で走っていて、当時の世界新記録なのだという。更に、明治38年(1905)11月11日の運動会では棒高跳びで3メートル66の当時の世界新記録も出し、明治39年(1906)11月11日の運動会では、その記録を3メートル90に更新しているのだそうだ。
 これらの記録を、帝国大学浜尾新総長は、計測装置開発者で実測者である田中館愛橘博士証明文と共に、アメリカの主な大学に通知したのだとか。
 それで、明治40年(1907)AAU(アメリカ競技連合)のスポールディング社発行の年間「アスレチック・アルマナック」に藤井実の写真とそのレコードは掲載されたが、残念ながら公認には至らなかったとのことだ。

 曖昧な記憶の中では、思いでとつながるN先生もこの「東京帝国大学運動会」に詳しかったと思うのだ。この運動会は、運動会というイメージとは違って、世界的に通用する計測で実施される記録競技会であったというような話をN先生から聞いているような気がしているのだ。
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by shingen1948 | 2017-03-27 17:05 | ☆ その他の話題 | Comments(0)