地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

奥州街道:八丁目宿「眼鏡橋」のある風景②

 先に「奥州街道:境川から八丁目村へ⑧」で「新堰改修碑」にふれたが、この改修が決まるのが昭和18年で、この改修碑が建てられるのが昭和20年ということで、この川筋は、まだ水原川の本流であった時代だという事のようだ。
a0087378_15291819.jpg 碑文を再掲する。
 「新堰改修碑」
 新堰ハ水原川下流ヲ横断スル處松川橋ヲ架
 シ四季清流ヲ止メ西光寺河原ノ一風致タリ防火用
 水トシテ亦頗(すこぶ)ル重要ナリシカ土俵止ニシテ年々水
 害ニ遭ヒ修理容易ナラス加フルニ上流数個所ノ堰
 ハ逐次改修セラレ水量愈々少キニ至レリ干時大東
 戦争滋二三年食料増産要切ナルモノアリ此現
 状ヲ遺憾トシ速ニ国家ノ要請ニ應ヘントシ昭和十
 八年堰下相諮リ改修ノ議ヲ決シ町富局ニ陳情町會
 ノ議決ヲ以テ県ニ申請補助工事トシテ採襗セラレ
 工ヲ起シタルモ資材ヲ費シ茲ニ竣工シタルモノナリ
 昭和20年1月建立

 題額並撰 信夫郡松川町長 阿部巳之吉
      信夫郡松川町書記丹治一郎
 石工 菅澤 上〇

 この新堰は、現在の風景の中では、水原川の本流から分水した堰が眼鏡橋を通り、本流に戻るその先に水門があって、そこからまた分水されていく風景という風に見える。
 しかし、この時代の水原川の本流は西光寺の南側の流れだ。その時代の風景では、現在の本流に戻るその先に見える水門が新堰の取水口という事なのだろうと思う。
 ただ、その時代の水原川の本流も改修されたという事のようなので、この風景はその時に整備された風景が残っているという事なのだと思う。

 地元の方の眼鏡橋について思いには、勿論、橋そのものへの愛着があるのだろうと思う。しかし、この新堰とのかかわりで、重要な水路に架かる橋という実質的に役割を担った橋という意識も強いのだろうとも思う。  
 足を一歩踏み入れてみて感じたのは、もう一つの思い、生活に潤いを与える親水公園という新しい見方も加わっているような気がするのだが、どうだろうか。
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by shingen1948 | 2017-08-02 15:42 | ◎ 奥州街道 | Comments(0)