地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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奥州街道:八丁目宿「眼鏡橋」のある風景

 「うつくしま土木建築歴史発見」には、県内の代表的な石橋として5つの橋が紹介される。
 その中の「飯野八幡宮参道橋」はいわき市であり「神橋」は白河市であるが、松川橋と旧秡川橋の2つは福島市の石橋だ。また、県北地域ということなら川俣町の旧壁沢眼鏡橋を含めて3つの石橋が紹介される。
 この川俣町の旧壁沢眼鏡橋の橋は、信夫橋と松川橋の眼鏡橋を手掛けた石工さんが、その記念として造られたとのことなので、福島にある橋とは因縁も深いようだ。
 更には、信夫橋は「信夫橋の歴史」として別項目に紹介されるのだが、その2代目が13径間の石造りアーチ橋だ。
 この2代目信夫橋が石造り橋に替えられると聞き及んだ地元民が、松川橋も石造り眼鏡橋にしたいと請願したことが、松川橋が誕生するきっかけだったとも聞く。

 その時代、福島近辺の旧秡川橋以外のこれらの石橋は、何らかの因縁でのつながりを持ちながら架けられていったということのようだ。
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 その松川橋について、「うつくしま土木建築歴史発見」では、先に案内板の解説を元に整理したようなことが紹介されるのだが、「八丁目宿「眼鏡橋」のある風景」にかかわる情報として次の紹介部分が気になった。
 「地元の人々からは眼鏡橋の愛称で親しまれており、往時はすぐ上流に建っている真言宗西光寺の大日如来と共に道往く人々の心を和ませておりました」

 というのは、西光寺の川沿いに台座の石造物があったのだ。もしかかわるとするならば、ここに仏像が安置されていて、それが道往く人々の心を和ませていたと読み取るべきなのかなと思えたからだ。
 ただ、今のところその確認はとれていない。
 戦時中の供出かなとも思ったが、確認できたのは梵鐘供出だけだった。
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by shingen1948 | 2017-08-01 09:55 | ◎ 奥州街道 | Comments(0)