奥州街道:八丁目宿「ハンドメ」にかかわる情報
2017年 07月 30日
この写真は今回の散策ではなくて、2009/7/27に撮ったものだが、この現ガソリンスタンドを経営する櫻内家が本陣をつとめていたとのことで、案内柱も建っている。
この櫻内家には、誰が休泊していたのかを知らせる木製の関札や、諸藩の大名が宿泊休憩した記録「御休泊帳」が大切に保管されているという。
それらの記録によると、松前藩や仙台藩、津軽藩などの諸藩の大名が宿泊休憩したという。
その参勤交代の行列が宿場に到着した際は、宿場端に置かれた「ハンドメ」という治安維持をになう番所まで出向き、本陣の主人をはじめ名主、検断など名衆が名を連ねて大名を迎えたとのことだ。
ここに出てくる「宿場端に置かれた『ハンドメ』」は石合町の先のことであろうが、「ハンドメ」の意味が治安維持をになう番所であるということも分かる。
今回の散策で確認したいのは、八丁目村検断名主兼帯渡辺権左衛門のお屋敷前の「ハンドメ」だが、同じ様な番所だということだろうと推測する。
こちら側は、二本松藩とのかかわりで口留番所にこだわってしまうのだが、幕末は幕領であったり二本松領であったりしているので、藩が接する緊張感のようなものとは微妙に違うのかもしれない。
この説明から、「ハンドメ」は、二本松藩の藩留番所かなと勝手に思ってみたりしている。
先の整理では、「ハンドメ」は治安維持をになう柵かなとイメージしていたので、その位置にかかわることとが微妙に違ってくる。