地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

山中毅さんの訃報に接して⑧

山中選手が会津若松にやって来たのは、昭和36年(1961) に会津若松で行われた国体に参加するためだ。

この大会の様子は、先に記したように「ふくしま教育情報データベース」というサイトの「県民ニュース」で見ることができる。しかし、会津若松市のホームページに掲げられる「会津若松市の歩み」には、その第16回国民体育大会が実施されたことは記されていない。

多分、この大会は開催地が秋田県であり、水泳競技だけが会津若松市の水泳場で行われたからなのだろうと思う。

ちなみに、先に整理したボート競技で福島県も会津高等学校も優勝した昭和27年(1952)の第7回大会については、柔道と軟式庭球が会津若松市で実施されたことが記される。(ボート競技は会津地区である「福島県営荻野漕艇場」で行われてはいるが、確かに会津若松市での実施ではなかったので記されない)。

また、平成7年(1995)の第50回大会では、6人制バレーボール・ソフトテニス・柔道・なぎなたスポーツが実施されたことが記されている。これらのことから、記載の基準は、開催県とのかかわりなのだろうと想像する。

昭和27年(1952)の第7回大会は、福島県、宮城県、山形県の共同開催で、平成7年(1995)の第50回大会は、開催県が福島県だったが、第16回国民体育大会の開催県は秋田県だった。

会津若松市の水泳場は、昭和26年に開設されているが、昭和27年(1952)の第7回大会では水泳競技は行われていない。この時は、宇都宮市の市運動場プールで行われているようだ。

昭和36年(1961)の国体開催までの間に行われたプール改修工事の様子はおぼろげながら記憶にある。
 印象深いのは高飛び込みプールの新設だ。

この施設使用については、自分とは無縁だ。ただ、その高飛び込みの練習については自分の思い出と重なるところがある。
 というのは、この高飛び込みの空中姿勢制御の感覚を養うのには、トランポリンを使っての練習が主になるのだ。この練習は、普段学校の体育館内で行っているのだが、これが結構楽しめそうに見えるのだ。

それで、自分は、本当は陸上部に所属していたのだが、時々、このトランポリンの練習をさせてもらっていたのだ。縄張り意識も無く、大らかに接してもらっていた。 
 今思えば、この部活は創設間もない頃だ。興味を持ちそうな部員を引き入れたいという意図があったのではないのかなとも想像する。



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by shingen1948 | 2017-03-22 08:29 | ☆ その他の話題 | Comments(0)