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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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山中毅さんの訃報に接して⑦

 母校がボート競技の伝統校であることは、自分には全く関わりの無い事だと思っていた。
 しかし、N先生を介することによって少年の日に山中選手の胸の厚さに感動する体験を得たのだ。今回、自分の記憶を探りながら猪苗代湖の艇庫を確認する中で、そのN先生が会津にやってくること
が、母校がボート競技の伝統校であることがかかわっていたらしいことが分かった。

 今度は、現在の拠点らしい「福島県営荻野漕艇場」の沿革を確認してみる。
 ここは、阿賀川のダム湖を利用して作られた全長1,000メートルの6コースで(社)日本ボート協会公認B級コースなそうだ。昭和27年の第7回国体が福島県で開催されるのを契機に、昭和25年に開設されたそうだ。
「高郷村勢要覧」では、その後の主な全国大会として昭和34年(1959)と昭和53年(1978)の高校総体、昭和57年(1982)と平成3年(1991)の社会人・実業団大会、平成7年(1997)福島国体を挙げている。他に、多くの東北大会も開催されているという。

 ここに、昨日整理の戦前の練習拠点に建つ「会津中学校端艇部戸ノ口艇庫跡」の年代情報<明治32年(1899)~昭和26年(1951)>を重ねると、次の練習拠点は、国体に向けて開設された「福島県営荻野漕艇場」ではなかったかと推定される。
 昨日は、「昭和27年に艇庫を中田浜に新築し、そこに昭和31年に「学而会館」が建築され、昭和32年6月8日に開館した」と推定したが、その間に「福島県営荻野漕艇場」の練習拠点が挟まるようだ。
 中田浜の「学而会館」建設は「昭和27年の端艇部の国体優勝を期に昭和31年に建設され」たとのことだが、その国体というのが「福島県営荻野漕艇場」で行われた福島国体だったということなのだろう。

 昭和36年(1961)の会津若松で国体水泳の記憶と、その後の訳も分からずに陸上競技市場でマスゲームのダンスをさせられた記憶があって、高校総体の記憶だろうと思っていたが、そうでもなさそうだ。
 こちらの記憶は曖昧なままだ。
by shingen1948 | 2017-03-21 09:13 | ☆ その他の話題 | Comments(0)