地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

奥州街道:八丁目天満宮情報から④

 「松川のあゆみ」の「忍幢律師」情報は更に詳しい。
 
 まずは、以下のような「忍幢律師」そのものの情報。
 「(忍幢律師は、)八丁目に生まれ、安政7年奥州福島城西真浄院に病み没する」とのこと。

 次に、「信達二郡村誌」に社前に飛梅と称する古木に関する情報。
 同誌では「古府菅祠の飛梅を乞い分ちて安永年間(1772~1781)植える所なり」とあったが、忍幢律師はこの飛梅の分木を頂くのに、大宰府に行って筑紫の天満宮に籠ったのだとか。そこで得た分木を当地に送ったものなのだという。
 ただ、残念ながらその木は枯れてしまったそうで、同誌が発行された昭和48年11月現在の飛梅は2代目だとのことだ。

 更には、天満宮本地仏十一面観音にかかわる情報がる。こちらも忍幢律師がかかわるようだ。安永7年天満宮に本地仏として十一面観音を安置したいと師慧海に願い与えられたものとのこと。
 この十一面観音は、弘法大師の作で、河内国道明尼律寺の二之室住持春澄妙照大姉の持仏だったが、慧海に寄進されたものだといわれているのだとか。

 「松川のあゆみ」の「忍幢律師」情報では、奏楽寺とのかかわりについては一切ふれられていない。したがって、師慧海は真浄院かかわりのように読み取れる。
 ただ、奏楽寺の情報を確認した時に、1759年奏楽寺の堂字を再建された方が僧 恵海であるとの情報を得ている。忍幢律師が奏楽寺住であることは既知の事としているのだとすれば、この方が忍幢律師の師の可能性もあるなと勝手に思っている。というのは、秦楽寺かかわりならば、天満宮本地仏十一面観音弘法大師の作というのも、結構説得力がありそうに思えるからだが、実際のところは曖昧なままだ。
 
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by shingen1948 | 2017-07-22 16:26 | ◎ 奥州街道 | Comments(0)