地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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奥州街道:八丁目天満宮情報から②

 案内板の解説から、八丁目天満宮は地域では天神様と愛称されていたとのことだが、明治4年の明治政府の神仏分離令対応の際に八丁目天満宮と改称されたことが分かる。また、この時に、天神様に下げられていた鰐口を取り払い鈴が下げられ、安置されていた十一面観音は西光寺に遷されたということも分かる。

 その西光寺に遷された十一面観音について、「松川のあゆみ」では、昭和になってからは本堂に安置されているようだが、当初は般若堂に安置されていたと解説されている。
a0087378_8435116.jpg それで、その当初十一面観音が安置されていたという西光寺般若堂はどの施設なのかなと確認を進めたら、門前のこのお堂らしいことが分かった。

 「地域のお宝情報」によると、このお堂は、元々はお経を収める倉として作られた経蔵だったそうだ。
 地域住民の信仰心に「天神様」のご神体とされている「十一面観音」を明治政府の神仏分離令対応で祀ることになった時に、その「十一面観音」を安置する「観音堂」としたといことのようだ。
 地域住民はもとより街道を行き交う人々に広く親しまれるようにとの配慮からなのだろうと思われる。

 現在の般若堂の姿は、震災後の平成24年に屋根と外壁が改修されたもののようだ。
 この土蔵造り平屋建のお堂の屋根は、現在は切妻銅板葺きのようだが、当初は小羽葺きで、その後鉄板葺きになったとのことだ。
 外壁は、現在は壁漆喰塗り腰石貼りだが、当初はなまこ壁だったとのことだ。

 案内板の「現在の祭礼」に「25年ごとに御神記祭(遷宮祭)」とあるのは、現在の地域の人々の信仰心とのかかわりを配慮されたものなのだろうと推察する。
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by shingen1948 | 2017-07-20 09:42 | ◎ 奥州街道 | Comments(0)