地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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奥州街道:八丁目村から天明根村辺り②

a0087378_5172318.jpg めがね橋から天明根村から鼓岡村の中町にかけての風景だ。
 「八丁目家主一覧」によれば、この街道の中央に牛馬の脚洗い用水が通っていたとのことだ。その図をみると、その用水路がめがね橋の右側に延びているようだ。その先で水原川への排水を想像する。

 この写真に大きな薬局が写るが、その向かい側辺りに明治45年創立の「松川座」を勝手に想像してみている。

 大正13年創立で昭和37年まで続いていたという芝居小屋「松楽座」については、先に「松川事件を歩く」の散策時にその位置を確認していたところだが、それ以前の常舞台だ。

 「松楽座」は「写真集:明治・大正・昭和 福島(大竹三良)」に大正13年の記念興業時の写真が掲載されている。その写真解説に、その常舞台「松川座」についてふれた箇所がある。
 明治45年頃天明根にできて大正5~6年に終わったとのことだが、その集客とのかかわりについては、「宿場町から発展した松川町は幕政時代から遊郭もあり、鉄道忌避で寂れたとはいえ、周辺の農村を商圏としてにぎわっていた」と解説される。

 「松川のあゆみ」では、更に詳しく金沢屋忠兵衛が私財を費やし西光寺の庫裏を解体して建設したものということと、現中村工場事務所付近という位置情報が解説される。
 ただ、こちらにもその「松川座」を紹介する写真はない。また、現況ではその位置情報である中村製作所も確認できない。

 しかし、昭和46年のこの付近の地図を確かめると、その「中村製作所」が表記されていた。
 そのプロット位置は街道の東側だ。
 具体的な位置は分からないのだが、絞り込むヒントはその所在地が中町ではなく天明根村らしいことだ。街道の東側は中町が食い込んできているので天明根村分はそれほど広くないのだ。
 これが、「松川座」の位置を勝手に想像した根拠だ。

 細かいことで気になるのは、「松川町青年団」の結成情報とのかかわりだ。
 明治43年結成らしいのだが、その発会式が字天明根の常舞台「松川座」で挙行されているというのだ。
 創業は明治45年とのことだが、その2年前の明治43年に常舞台を使用させたということなのかな。
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by shingen1948 | 2017-07-17 09:16 | ◎ 奥州街道 | Comments(0)