地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

山中毅さんの訃報に接して④

 記憶がはっきりしないのだが、N先生はS.Y一郎君の家の離れに部屋住んで居たはずだ。部屋を借りていたという事なのか下宿だったのかは、分からない。これは、N先生が学校に赴任する前の話だと思うのだ。
 N先生は、東京の方で、会津に縁もゆかりもない方であり、憧れで会津やって来たという風な思い込みの記憶もある。この事とS.Y一郎君のお父さんは会津高校の先生だったはずとの記憶を合わせて想像すると、N先生の教育実習の時期だったのかもしれないとも思う。あるいは、赴任のための数か月前にやって来たということの記憶なのかもしれない。

 S.Y一郎君は、ご近所の幼馴染なのだ。幼い日の記憶の中に、休みの日には、よく会津高校の体育館で遊んでいたという記憶があるのは、このS.Y一郎君との関りだと思う。
 S.Y一郎君のお父さんは会津高校の野球部とかかわっていたことは確かで、ひょっとすると管理職だったのかもしれないが、その辺のことはよくわからない。

 多分、それらの事とかかわるのだろうと思うのだが、休みの日に、N先生に中田浜にある会津高校の合宿所に連れていてもらった記憶があるのだ。ボート終いとかかわった筈だとの記憶がある。
 その行程は覚えていない。
 バスで湖畔を回り込んだものか、当時、背炙山にケーブルカーがあった筈なので、そちらを利用して山頂に行き、そこから徒歩で下ったものか。
 ただ、印象にあるのは、途中、N先生が「矢じりかな?」とつぶやいて、畑に入って行って、何かを拾い上げたという記憶だ。
 N先生には、中学校と高等学校の6年間、日本史をお習いするはずだが、その事の記憶より、この時の記憶が強烈だ。

 山中選手の講演会の記憶は、自分の学校に当時注目される世界に通用する方がおいでになったということに加え、このN先生を山中選手が訪ねて来たということでの印象が強く結びついているのだと思う。
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by shingen1948 | 2017-03-15 10:34 | ☆ その他の話題 | Comments(0)