地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

奥州街道:境川から八丁目村へ⑦

a0087378_10381319.jpg 水原川にかかるこの橋辺りから南側が八丁目村ということなのだと思う。ただ、「八丁目家主一覧(杉内励一蔵)」を見ると、橋右手の手前2軒は天明根村の住民とされているようだ。川普請とのかかわりで、川筋が改変されたという事なのだろうか。

 現況は石橋だが、「八丁目家主一覧」では「はし」と表示されているだけなので、木橋だったのだろうと想像する。

 この石橋について案内板が建ち、次のように解説する。

 「めがね橋」
 明治18年(1885)8月に完成。当時の県令三島通庸は福島県令になる前、酒田県令を勤め、ここでもめがね橋を完成させた。その経験を生かして松川にも造ったといわれる。石工は川俣町の布野なる者で福島の信夫橋の石橋も手掛けている。布野は三春町松本亀吉らと協力して完成。
 石材は浅川町五斗内から切り出したもので、松川橋の銘のほか、信夫郡松川村他四カ村戸長杉内省三郎他6名の工事関係者などが刻まれている。西光寺住職平林宥京の書によるものという。
 この橋の建設費に村では県に対して人夫780人を寄付。また戸長の任にあった杉内省三郎は建築費として県へ300円を寄付している。

 地元意識を感じるのは、「福島の信夫橋の石橋も手掛けている」という部分。
 福島との合併前にこの解説文ができたのかもしれないが、現在も「福島の」という断りを自然な事として受け入れているということなのだろうと思う。現況では、松川も福島のはずだが、ここは「松川」であるという地元意識の強さなのかもしれない。
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by shingen1948 | 2017-07-12 10:39 | ◎ 奥州街道 | Comments(0)