地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

奥州街道:境川から八丁目村へ⑥

a0087378_911267.jpg 左手のお宅に「旅館若松屋」が表示されている。
 「八丁目家主一覧(杉内励一蔵)」に「若松屋」代吉 作右衛門の表記が確認できることとのかかわりで、いくつかイメージしやすくなったことがある。
 まずは、その「若松屋」の位置がここだというふうに特定できるという事がある。

 「若松屋」が特定できることで、このお宅の南側に水路が走り、道路を横切っている何気ない風景の意味も分かる。
 「八丁目家主一覧(杉内励一蔵)」では、この水路が用水路である事の表示があるのだ。しかも、この用水が道路を横切っている部分には、石橋が架かっていた事まで表記されているのだ。
 このことから、この水路は少なくとも天政・天保(1820~30)頃から用水路として活用されていたということが推定できるという事だ。
 現況では、この用水路の南側もこのお宅の敷地になっているようだが、天政・天保(1820~30)の頃はそのお隣の敷地だったかもしれない。
 現況でもその南側に井戸小屋が見えるが、その排水もこの用水路に流れ込んでいたのだろうと推測できる。

 更には、明治時代に廃寺になったと思われる「多宝院」と「盛光院」のおおよその位置も推測できるようになるという事があるということだ。
 「多宝院」は、前回推定した「八丁目村検断名主兼帯渡辺権左衛門」お屋敷と、この若松屋の中間よりやや名主宅寄りの辺りが推定できる。
 「盛光院」は、これから整理する水原川に架かる松川橋とこの若松屋の中間より松川橋に寄った辺りに推測できる。

 なお、「八丁目家主一覧(杉内励一蔵)」には、この松川付近の若松屋側に浅草屋がプロットされ、道向かいには浅草屋をはじめ6軒の店名が表記されている。
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by shingen1948 | 2017-07-11 09:18 | ◎ 奥州街道 | Comments(0)