地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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奥州街道:境川から八丁目村へ⑤

 街道を進むと、右手からの道と合流し、直ぐに左手すると、左側に「奥洲八丁目天満宮」が見えてくる。
 いよいよ八丁目村へ入るのだが、このクランク状に進む道筋は枡形の跡で、ここに口留番所があったと推定するようだ。
 半沢氏の「歴史地図」でも、左側の「奥洲八丁目天満宮」の奥に、「八丁目村検断名主兼帯渡辺権左衛門」がプロットされ、クランク状に進む道筋の手前に「ハンドメ」がプロットされている。

 ところが、「松川のあゆみ」が、「八丁目家主一覧(杉内励一蔵)」をもとに起こした図によると、微妙にその位置が違う。
 この「八丁目家主一覧(杉内励一蔵)」は、天政・天保(1820~30)頃名主杉内与三郎氏が書き残したものとのことだ。
 今回は、この「八丁目家主一覧(杉内励一蔵)」をもとに起こした図と現況を見比べながら散策していこうと思う。
a0087378_8541811.jpg 「ハンドメ」の意味が気になるが、今のところ口留番所とかかわるのだろうというという程度の理解だ。その位置だが、半沢氏の「歴史地図」が示す位置とは違う。

 半沢氏の「歴史地図」で「八丁目村検断名主兼帯渡辺権左衛門」とするお屋敷だが、左手の「奥洲八丁目天満宮」を越して二軒の家主があり、その次にお屋敷は描かれる。

 「奥洲八丁目天満宮」の敷地から家二軒分おいてそこから名主のお屋敷だと想定すると、そのお屋敷の位置は、この写真右手に写る立て看板の向かい辺りかなと想像する。

 「ハンドメ」の意味は確認できていないのだが、もし片側をとめるという意だとするならば、写真に写るポンプ小屋の向かい側辺りということかなと思う。

 これらが、「口留番所」という概念とどのように結びつくのかの確認もできていない。
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by shingen1948 | 2017-07-10 09:52 | ◎ 奥州街道 | Comments(0)