地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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撮り溜めた写真から24~医王寺の石造供養塔群⑤

a0087378_9412641.jpg こちらは、佐藤基治・乙和ご夫妻墓碑とされる。こちらも「医王寺の石造供養塔群」の一部という見え方もあれば、こちらがスポットライトを浴びせるメインの石塔という見え方もある。
 医王寺のホームページでは、その視点から以下のように紹介されている。

「 奥の院薬師堂の境内に見られる板碑群は、信夫荘司一族の墓域と伝えられ、中央に佐藤基治・乙和、右側に継信・忠信の墓碑といわれる石碑があり県指定重要文化財に指定されております。 
 凝灰岩の奥州型板碑を主に大小60数基が安置されています。石塔が削り取られているのは、熱病の際に削って飲むと治るという伝えがあり、継信・忠信のような勇猛な武士にあやかりたいという信仰であったと思われます」

a0087378_942274.jpg こちらが嗣信忠信墓碑とされる。
 医王寺のホームページでは、「佐藤継信と忠信の墓碑。墓はすべて板碑作られておりで、これらの板碑は福島市の文化財に指定されております。このお墓の石を削って飲むと病が治ると言われており、削られた跡がみられます」と紹介される。

  ◇        ◇         ◇          ◇
 前回、悲母か慈母かにややこだわったのは、先に整理した「下鳥渡供養石塔」とのかかわりだ。
 この石塔の解説に「阿弥陀三尊を浮彫りにした左右の年忌と願文によって、正嘉2年(1258)9月に悲母(亡母)の供養のために平氏の女が建立したことが知られる」とあったのだ。その「悲母(亡母)」を「悲母=亡母」と勝手に解釈していたのだ。

 逆修というのは以下のようなことなので、それと会わないのではないかとの思い込みがあったのだ。

 逆修というと、生前に戒名を授けてもらって、その戒名を位牌・墓に刻んで、文字を朱で埋めておいて、死後これをとり除くという習俗をイメージする。しかし、本来的には「生前に逆(あらかじめ)自己の死後の冥福を祈って仏事を行う」ことをいうのだそうだ。死後の追善供養では死者に達する功徳は1/7と説かれ、「地蔵菩薩本願経」で、逆修は7分の徳すべてを得る事ができると説かれるのを受けて、平安中期以降天皇貴族から民間に至るまで広く行われた習俗とのことだ。

 しかし、確認すると悲母と慈母は同義語なそうだ。
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by shingen1948 | 2017-07-04 09:44 | ★ 季節便り | Comments(0)