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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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森鴎外と福島34

 前回は、津軽地方の医学史、疾病史という地方史の研究に、「渋江抽斎(森鴎外)」の史伝を主要な資料の一つとして活用しているという観点から整理した。
 地方史研究の主要な資料となり得るのは、松本清張氏の指摘のように資料提供者の資料にフィクションの手法をほとんど施していないからだろう。
 その資料提供者というのが抽斎氏の息子である渋江保氏だ。

 鴎外氏は、史伝「渋江抽斎」執筆のため、抽斎氏の息子である渋江保氏に「抽斎ノ親戚並ニ門人」及び「抽斎の学説」の題で起稿を求めたという。
 それに保氏が応じて、抽斎の親戚6人と門人10人についての回想的伝記と「抽斎の学説」をおくったとのことだ。これが、鴎外文庫「書入本画像データベース」の「抽斎の親戚、幷(ならび)に門人(渋江保著)」で確認できる。
 http://rarebook.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/ogai/data/H20_555.html

 まずは、松本清張氏の指摘と資料の関係を確認しておく。
 「森鴎外と福島32」でふれた松本清張氏の指摘は、「両像・森鴎外(松本清張)【文芸春秋社1994年】」に、「最高傑作と誉れ高いこの史伝は、実は、鴎外が抽斎の子保に依頼して書いてもらった原稿用紙百数十枚からなる資料・覚書をほとんど丸写しにしたもので、彼自身の創作は微塵も無い」と言った一戸務の資料報告の存在の指摘のようだ。
 この松本清張氏の著作も、鴎外文庫「書入本画像データベース」の参考文献として挙げられているが、ここに「鴎外作『渋江抽斎』の資料(一戸務)【文学1巻5号1933年8月】」もある。これが、その「一戸務という人の論文」というものに該当するのだろうと思われる。
 一戸 務氏を確認すると、作家で中国文学者のようだ。
 明治37年(1904)東京生まれ東京帝国大学支那文学科卒。昭和4年(1929)第10次「新思潮」に参加、後に「文藝レビュー」に参加して小説を書く。文部省勤務。戦後、和洋女子大学教授とある。

 ここに【翻刻:松本明知『森鴎外「渋江抽斎」基礎資料』日本医史学会1988年】とあるのが、「森鴎外と福島33」で確認した津軽地方の医学史、疾病史の研究とかかわる。
 松本明知氏が鴎外氏に提出した「抽斎親戚並門人」と新たに発掘した渋江保氏の日記(明治元~3年)を活字化翻刻したものようだ。
 「抽斎親戚並門人」が活字化されたことの他に、日記の発見によって以下のように史伝の研究にかかわる事の外、藩医としての渋江抽斎を巡る幕末の弘前藩の医学史にかかわる事も明らかになったという情報も見る。
 ① 維新の混乱時に抽斎没後の渋江一家が江 戸から弘前へ引き揚げた日時,経路などの詳細が 知られた
 ② 渋江抽斎は弘前藩の秘薬「津軽 一粒金丹」の製造を許された数少ない藩医の一人であったので、この関係の史料を鋭意探索した結果、抽斎自筆の秘伝書と渋江家で用いていた「津軽一粒金丹」の薬袋を発見した。
 ③ 秘伝書は伝授された者が次ぎの伝承者へ筆写して渡すことも明らかになった。
by shingen1948 | 2017-02-19 06:39 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)