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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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森鴎外と福島⑭

 昨日の整理で、「仙台衛戌病院飯坂分院」視察が曖昧だった。というのは、19時近くに福島駅に着いて、そこから自動車で飯坂花水館に向かうので、その日に「仙台衛戌病院飯坂分院」視察は無理だと思ったのだ。
 しかし、「北遊記」を確認したら、19日朝、東京に戻る前に視察していた。
 19日、晴。朝7時仙台衛戌病院飯坂分院を観る。畢(おわ)りて自動車に乗り、長岡停車場に至る。此より汽車に蘧り、午後8時東京に帰る。

 福島での二日間の行程を確認すると、以下のようにきつい行程であり、他に立ち寄る余裕はなさそうだ。
 18日 山形13:55→(奥羽本線)→福島駅18:55→(車)→「花水館」宿泊
 19日 「花水館」発7:00→(車)→「仙台衛戌病院飯坂分院」→(車)→長岡駅→(東北本線)→東京20:00着

 今回参考にしている「北遊記」について確認しておく。
 「鴎外全集」の後記で次のように解説される。
 大正3年(1914)8月1日発行の雑誌「心の花」第18巻第8号および9月1日第9号に「森林太郎」の署名で掲載され、単行本には収められなかった。
 この全集に収められているのは、鴎外記念本郷図書館所蔵の浄書稿に據るとのことだ。その信ぴょう性にかかわっては、「別人の筆になるのだが、鴎外の朱訂がある」としている。

 確認していて、ちょっと気になったのが、この旅の随行員の方。
 この東北地方巡視の旅には、八木沢、石田二軍医が随行していることが、大正3年5月4日の午前8時20分上野を発す時の記事に記される。

 いろいろ確認作業をしている中で、「森鴎外の北遊記に見える軍医八木澤正雄( 松木 明)」という資料があるらしいことが分かる。その資料を直接確認できなかったので、「軍医八木澤正雄」でネット検索すると「陸軍細菌学会」とかかわる「軍医八木澤正雄」という方がいらっしゃることが分かる。そこには、「城井は『ジフテリア』西澤が『痘苗』」を担当した。このなかには八木澤正雄(大正10年樺太出張中に腸チフスで死亡)が、『破傷風』を担当した」と記される。
 同じ方という可能性は高いような気がする。

 その偏った見え方で「石田軍医」を検索すると、「731-石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く(青木冨貴子)」に、登場する方がいらっしゃるが、こちらの確からしさは低いかな?。
by shingen1948 | 2017-01-19 09:01 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)