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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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亀岡邸の情報から:福島の建築(12の2)

亀岡邸の情報から:福島の建築(12の2)_a0087378_11291761.jpg 今回、家族と亀岡邸に出かけ、偶然にもその無料開放で、内部を自由に見せていただけただけでなく、詳しい資料をいただくことができた。
 それで、亀岡邸を詳しく見せていただくだけでなく、その設計者や棟梁の仕事まで確認させていただいた。
 特に、設計者である江川三郎八氏については、岡山の情報を元に、福島での仕事を確認したいものだとずっと思っていたところだった。
 棟梁の小笠原国太郎氏については、全く手持ち情報がなかったが、氏の仕事とされる建物については散策したことがあったので、視点を変えてみるきっかけとなった。

 今回、頂いた資料の情報を確認するのに、いろいろな情報に接したのだが、気になった事がいくつかあった。散策するのにいつもお世話になっているので、気になりながらそのままにするのは、かえって失礼かなということで記させていただく。あくまでも自分の備忘録として。

 「ふくしまの文化財を見る(明治~現代)」の「亀岡住宅」解説文の「伊達町から移築されました」とあるのは、明らかに「伊達崎村(現桑折町伊達崎)から移築」の誤りだろうと思われる。なお、「性格」の項の「豪農の住宅 ※県指定重要文化財」は、今年度からは「国指定重要文化財」となるはず。

 「福島県 近代化遺産 市町村別一覧表」の福島市の15「なかむらや旅館新館」、17「花水館奥の間(御殿)」の「施工者」欄は、空欄になっているが、ここが「小笠原国太郎」氏の可能性が高いということだろうか。
 特に、「なかむらや旅館新館」は、その確からしさの確率が高いように思う。

 郡山市の2「金透記念館(旧金透小学校)」は、明治8年建築で、設計者が増子義三郎氏・ 宗形彦八氏、施工者が今泉久三郎氏で、明治8年の創建のデータとしては、その通りなのだろう。しかし、「福島県土木史(平2.3.31/県土木部)」の建設年表では、明治27年(1894)の金透小学校の建設設計を県技手江川三郎八としている。現金透記念館は、明治27年(1894)以降の建物をモデルとしているはずだと思う。
 素人の散策ではどうでもいいことだが、時代の流れとの関係を捉えようとする場合は、明治27年モデルを考慮することが必要なのかもしれないとも、……。
by shingen1948 | 2016-12-07 11:32 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)