「新平家物語(吉川英治)」が描写する「信夫の里」④
2016年 09月 28日
早苗とる手もとや昔しのぶ摺
「苗をとっている早乙女たちの手元を見ていると、むかし、しのぶ摺りをした手つきもおなじようだったのかと偲ばれることだ」ぐらいの意だとおもうが、先にこの句については、以下の所で整理している。
「文知摺観音」での忘れ物②
http://kazenoshin.exblog.jp/8469769/
曽良氏書留句の碑
http://kazenoshin.exblog.jp/8469769/
「新平家物語(吉川英治)」が描写する「信夫の里」は、これをも受けて表現しているように思う。
「奥の細道」では、「あくれば」ということで、福島宿に宿泊した次の日から「信夫の里」の描写となるのだが、「新平家物語(吉川英治)」では、伏拝から「信夫の里」の描写に入る。
伏拝の風景を「ふと、駒の背からのぞくと、その辺りを幾すじも落ちてゆく野川の水は、異様なほど、まっ藍(さお)に見える」と表現し、ここを河原と設定する。
しかし、実際の伏拝にはそういう風景はない。これは、一気に「信夫捩摺の里」の世界に導く細工だ。
「奥の細道」では、実際に「もぢ摺の石を尋」ね、早苗をとっている早乙女たちの手元から「昔しのぶ摺」のイメージに入った。そこを「新平家物語(吉川英治)」では、この風景から直に「近くの里の家いえで、染藍(そめあい)を流しているせい」だろうということで、「昔しのぶ摺」のイメージにはいっているのだ。
そこから逆に、早乙女たちの手元が見えるというイメージの重なりをも利用しているように思うのだ。そして、このイメージは、物語の時代背景である平安朝の上方の貴族・歌人・文人の世界では常識であるということを介して、登場人物までもが納得するという設定なのではないのかなと思う。