平野村道路元標設置場所跡を探す③~平野村役場跡推定
2016年 08月 16日
明神町商店街の見取り図によれば、この支所公民館側の飯坂街道沿いには、昭和15年から昭和20年までは営業していたが昭和60年から平成3年の間頃には廃業てしまっていた「まるみや食品店」という商店と平成3年頃までは営業していた「井村や菓子店」があったようだ。その飯坂街道を挟んだ向かい側に葬儀屋さんがあって、その北側が平野郵便局という配置だったというのだ。
それで、平野村道路元標設置場所跡は「堂ノ前」らしいとの情報を得ていたのだが、明治22年(1889)に平野村が誕生した時点で村役場が置かれたのは、この公民館分館と支所の地点なのだろうと思っていたのだ。
しかし、「福島県の道路元標(小泉)」によれば、平野村創設当時、平野村役場は、大字平塚字堂ノ前16-8の現農協の北側の民家の地点にあったとのことなのだ。
ならば、その移転の可能性としては、昭和30年(1955)に飯坂町・平野村・中野村が伊達郡湯野町・東湯野村・茂庭村と合併して、村役場が飯坂町の支所となった時点かなとも思った。
しかし、「平野の伝承とくらし」の情報を加味すれば、昭和15年時点では、明神町の公民館支所跡に村役場はあったように読み取れる。
そのあたりが曖昧なままだ。