地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島の鉱山33~信夫地方の鉱山⑥~高子沼と金山

 散歩資料でこの辺りが紹介されるのは「高子二十境」だ。
 高子駅の案内板では、次のように紹介される。
a0087378_17452622.jpg それほど興味があるわけではないが、案内を元に東側を散策したことがあった。ただ、元々の位置と案内の位置がずれることがあるらしい。その原因について「名勝的景観『高子二十境』のイメージについて(小林恵一)」では、明治期に字名にこの高子二十境から命名されたものがあるのだが、これが必ずしも一致していないものがあった事と、それらの混乱のままに案内柱が建てられたことだと指摘する。
 今まで整理してきた「福島の鉱山」とかかわる部分で確認すると、「高子沼」が「高子阪」で、「羽山」が「白鷺峰」ということのようだ。案内板では「羽山」西手に「帰雲窟」が表記されるが、こちらは字名に過ぎず、本来の「高子二十境の帰雲窟」は高子山にあるという。
「雩(う)山」は、保原の境界を示すのに「保原町高成田」を表記した山で、その道筋沿いの「鬼返り」を表記した辺りが本来の「走馬領」とのことなので、案内板とは微妙に違うらしい。
 さて、「福島の鉱山」では、その高子二十境「高子阪」である「高子沼」と金山とのかかわりが次のように案内されている。
 本金山は古来産金の伝説に富み、嘗てこの沼を排水して調査の結果泥土の底には極めて簡易な石臼と共に鎌倉時代の遺品を存し、頼朝征伐の際、坑口を水没せしめて沼としたという伝説を裏書きし、また湖畔には徳川時代の金鉱粉砕用石臼を畄(と)めいている。
 「坑口を水没せしめて沼とした」ことと「極めて簡易な石臼と共に鎌倉時代の遺品を存」したことをもって、「頼朝征伐の際、坑口を水没せしめて沼とした伝説」との結びつきを紹介している。
 「坑口を水没せしめて沼とした」こととかかわる伊達政宗と結びつける伝説もあるようで、「保原町商工会」のページではこちらを採用する。
 http://www.do-fukushima.or.jp/hobara/history/history01.htm#5
 高子沼
 あの有名な独眼竜政宗が金鉱を隠すために堤防を築き、そしてそこに水を引いて沼にしてしまった、という話があります。
 彼が戦国時代に長期にわたって勢力を維持出来たのも多くの黄金を所持していたからだといわれており、そして、金鉱の採掘に相当な力を注いでいたのも事実です。
 正宗が豊臣秀吉らによって仙台に移されてしまい、信達地方は会津の蒲生氏の所領になってしまいました。
 その際正宗は数年をもって信達地方を取り戻す腹だったようです。
 そして、正宗はこの高子金山を蒲生氏にわからぬように隠してしまうために水を引いて沼にしたという話があります。

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by shingen1948 | 2016-07-25 17:44 | 福島の鉱山 | Comments(0)