地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島の鉱山32~信夫地方の鉱山⑤~「上保原鉱山」

 昨日までに整理した「富保金山」と「高子金山」の昭和の時代の推定位置を赤字で示した。富保金山の事務所は、岡島宮崎の東北のここに建物の印があったことと、岡島字瀬戸沢という所在地と地形との関係からの推測だ。」
 この図に上保原高森の推定位置を茶文字で示してみた。
a0087378_9183019.png 「福島の鉱山」の「高子鉱山」の項で「上保原鉱山」にふれるが、その位置がこの辺りでなかろうかとの推定だ。
 「福島の鉱山」では、その位置を「高子鉱山」の南側としか示していない。それで、「福島圖幅地質説明書(山下傳吉)」を確認すると、「上保原鉱山は字高森と称し阿武隈川の低地に接する小丘の東側にあり」と具体的に示されている。

 その上保原村の「字高森」だが、現在、上保原村は保原村と共に伊達市の行政区の範疇になっている。
 まずは、上保原村の範囲を確認すると、伊達市の保原町上保原と保原町大柳が、昔の上保原村にあたるということのようだ。その保原町大柳の範囲を眺めると、そこに「高森」の地名がみえる。
 恐らくこの辺りが旧上保原村の「字高森」の範囲なのだろうと想像する。
 これを、昨日までの整理の図に記入してみたということだ。

 この図には、「高子鉱山」、「富保鉱山」「「上保原鉱山」の3つの鉱山の推定位置を示したことになるが、その開発順序は、まずは明治時代に「上保原鉱山」の探鉱があって、昭和の始めに日本鉱業によってこの「高子鉱山」が探鉱されたということのようだ。
 「上保原鉱山」の鉱脈は、桂田村の各所に現出するものと同じで、嘗て其の山麓に堆積した廃鉱が銀成分に富んでいることを発見して、これを半田銀山に送って製銀したということだ。
 しかし、明治31年時点では、「本山は往昔盛んに採掘せられたるものの如く慈に数多くの旧鉱あり鉱脈は之を其旧鉱に徴するに数条ありて皆な南北に走れるものの如く坑口は悉(ことごと)く埋没して坑内の状況を知るに由なし」という状況で、その残鉱も存在しないということのようだ。
 「高子鉱山」の探鉱もうまくいかずに、すぐに休山になったという事らしい。「富保鉱山」も昭和4年の探鉱のようだが、こちらは昭和14年まで続いたということだ。
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by shingen1948 | 2016-07-24 09:20 | 福島の鉱山 | Comments(0)