地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島の鉱山22~信夫地方の鉱山「松川鉱山」④

 「福島の鉱山⑳~「松川鉱山」②」の後半で、近郊の鉱山の別称について想像を加えながらふれた。
 「鉱山情報・鉱物産地情報 福島県近郊」というページで「松川鉱山」の近郊の鉱山として、「金谷川鉱山」・「松川北鉱山」・「松川南鉱山」・「小池鉱山」・「信夫鉱山」が紹介されていたのが情報源だが、「福島県鉱山誌」でも同様な分類をしているのをみつけた。

 まずは、「信夫鉱山」についての訂正をする。
 「信夫鉱山」は硫黄鉱だとして確認を除外したところだった。しかし、ここでいう「信夫鉱山」は、小池鉱山の西隣にあった鉱山らしい。所在地は水原になっている。
 地図を確認すると、小池の西に金山の地名が載っていて、その道筋が小池の西の山を回り込んでいる。そこが水原村との境界らしいので、その辺りを想像し直す。
 大正2年に探鉱されたが、詳細は不明とのことだ。

 次に、「松川北鉱山」と「松川南鉱山」の位置についての訂正をする。
 「松川鉱山」と「小池鉱山」との間に「松川北鉱山」を想像し、「松川南鉱山」を「松川鉱山」と安達郡吉倉との間の板山あたりに想像したところだが、「松川南鉱山」の位置が違うようだ。どちらも所在地は水原(関根)とのことだ。
 「松川北鉱山」は「松川鉱山から沖積原を隔てて北方に接し、片状花崗岩をN45°Eに貫く鉱脈で、松川鉱山の鉱脈群の一端と認められる」とあるので、想像した通りだと思う。
 「松川南鉱山」は、その南側に位置するようで、しかも、大正元年に清化精錬によって鉱石を処理した記録があるということだ。付近には旧坑が多いとある。
 気になるのは、具体的な位置は分からないが、ここに精錬所があったという情報だ。
 「松川のあゆみ」の解説では、大正の初め橋本組によって「松川鉱山」が再開されたばかりの時代の精錬所は古天神地内にあったとされるのだが、同じころこの「松川南鉱山」にも精錬所があったということになる。
a0087378_18303792.jpg 村界付近の話なので、大まかな位置関係を確認するのに、「松川のあゆみ」から松川町の字切図をお借りし、これを眺めながら整理する。「松川北鉱山」と「松川南鉱山」の所在地を水原(関根)とするのは、この図の「金山」の「小池」寄り辺りと想像する。

 この「松川北鉱山」と「松川南鉱山」の情報を得て納得できることがある。
 「福島圖幅地質説明書(山下傳吉)」の「本鉱山は岩代国信夫郡松川駅の西10丁強下水原村にありて鉱脈は本村を通ずる渓流の沿岸なる字熊ノ田及字小池の二か所に現出せり……」とあるその位置表示が水原村であること。
 この辺りの現地図上の位置表記が、水原地区と微妙に違って松川町水原という表記があることとかかわって、松川町と結びついた水原の小字範囲なのではないのかなと勝手に納得する。

 「福島県鉱山誌」の情報と「福島圖幅地質説明書(山下傳吉)」の情報の違いで気になるのが、小池鉱山についてだ。
 「福島県鉱山誌」の情報では、片状花崗岩及びそれを被う流紋岩質凝灰岩中を東西に貫く4条の石英脈で、探鉱されたが成功を見なかったとある。
 しかし、「福島圖幅地質説明書(山下傳吉)」の情報では、本地の産にかかわる本課分析係に於いて分析したる成績を示すとして「百分中、字小池金0.010、銀0.014、字熊ノ田金0.006.銀0.108」とあり、素人目には小池鉱山の成績も見劣りしないように見えるのだが、……。

 「福島圖幅地質説明書(山下傳吉)」が明治31年(1898)発行である事とのかかわりか、調査分析と実際の採掘とのかかわりなのかは分からない。
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by shingen1948 | 2016-07-09 18:31 | 福島の鉱山 | Comments(0)