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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島の鉱山21~信夫地方の鉱山「松川鉱山」③

 「鉱山情報・鉱物産地情報 福島県近郊」というページに「松川鉱山」の製錬所跡が掲載され、これが現存するとある。それで、「松川のあゆみ」の附録資料として添付される「松川町全図」でプロットされる「松川鉱山」付近の航空写真を確かめたら、昭和50年の航空写真にその施設が写っている事が確認できた。
 ヤフーの地図でその確認できた地点を探してみたが、それらしきものは見当たらなかった。念のため、グーグルの地図で探してみたら、なんと、こちらにはそれらしきものが写っていた。この辺り落葉樹で覆われているらしく、その影響らしいのだ。ヤフーの航空写真では、そこが緑に覆われてしまっていたのだが、グーグルの航空写真は落葉の季節に撮影されたのだろうと思われる。
 この施設、今も現存することが確認できたということだ。

 もし、これが「鉱山情報・鉱物産地情報 福島県近郊」が解説するように、「松川鉱山」の製錬所跡だとすれば、最新の設備だろう。ならば、その沿革から、昭和3年から昭和18年まで瑞宝鉱業(株)の経営で最盛期を迎えたという時代の精錬所だろうか、これが、昨日プロットした「松川鉱山」の位置にあったということが分かったということだ。

 「松川のあゆみ」で中心的に解説された「松川鉱山」の精錬所は「古天神地区」にあったとのことだったが、ここで精製されたというのは、瑞宝鉱業(株)の経営に移る以前の話らしいことが想像できる。
 この「古天神地区」にあった精錬所の描写で気になるのは、「人々はこの工場を搗工場と呼んでいた。松川鉱山から古天神の搗工場までは、通路南側に12ポンドのレールを敷き、1トン積の鉱車を馬に引かせて運搬した。ここから松川駅までは荷馬車、荷馬車で運んだものである」とあること。
 「松川鉱山」の製錬所跡の北側の道筋が、松川鉱山にかかわる道筋だと仮定すれば、小金塚を北に回り込む道筋が想定される。ただ、ここを東西に走る道筋のメインは奥州八丁目天満宮の南側を走る道筋であることだ。鉱車が通るレールが敷かれた道筋をイメージすれば、宿地付近で、斜めに小金塚を北に回り込んだ道筋に向かう道筋があることも気になる。
 はっきりするには「古天神の搗工場」地点を知りたいところだが、今のところ手掛かりがない。
Commented by TUKA at 2016-07-09 02:36 x
馬車軌道で運鉱してましたか。興味深いですね。
古天神だと南側ですから、搗工場は水原川沿いではなさそう。
天満宮の裏に資材置き場みたいなのがありますが、これが跡地かも知れませんね。

昭和22年の航空写真にも不鮮明ながら写ってます。
精錬所はかなり大規模で広範囲。
その北側や西側に広がる白い部分が鉱山でしょうか。
東西を繋ぐ索道のような直線が印象的です。
Commented by shingen1948 at 2016-07-09 19:11
本日、小池鉱山付近の情報を確認して、付近の鉱山を概観すると、「松川鉱山」にかかわる主道筋は、熊ノ田から天満宮の裏に抜ける道筋なのではないかと思えてきたところです。
確からしさはないのですが、おっしゃるようにその熊田の高まりに気になる人工的に掘削した跡らしきものがみられることと、この道筋の宿地付近に斜めに進む道筋があって、レールが引かれた道筋の到着点にふさわしい地形だなと思っているところです。
by shingen1948 | 2016-07-07 09:10 | 福島の鉱山 | Comments(2)