地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島の鉱山⑱~信夫地方の鉱山「金谷川鉱山」②と水晶

a0087378_1225050.jpg 本当は、大玉村にある本宮のため池に流れ込む沢でとれた水晶の写真を使いたかった。ところが、これが見つからない。探している時に、この「玉の井」から出てきたという水晶玉の写真が出てきたので、同じ水晶の写真ということで、その写真を張り付けた。ただ、こちらの玉は実話の範疇なのか、伝説の範疇なのかは分からない。

 水晶の写真がほしかったのは、「金谷川鉱山」と水晶がかかわっているらしい情報をみたからだ。
 「福島の鉱山」ではふれていないが、「松川のあゆみ」では、大正時代までこの鉱山の旧坑口付近に多くの紫水晶が転がっていたことにふれる。これは、昔、金・銀鉱を採掘したときに、鉱石と共に搬出されたものであろうとの推測が解説されていたのだ。
 それで、玉井金山の堀跡は高玉金山の北裏に位置し、その沢からは水晶が採れるという類似点を感じたのだ。
 「金谷川鉱山」の「水晶沢」の地名も関係しているのだろうと想像するが、どうだろうか。

 さて、前回は「金谷川鉱山」の位置を確認したところだが、今回は沿革について確認したい。伝承としては、ここも鎌倉時代頃の発見とされているようだが、明治以前の沿革は不明のようだ。
 「福島の鉱山」によれば、明治の初めには既に上部は採掘し去られていたという。
 そこを大正年間には、長南長六氏の経営に帰していたという。昭和8年になって、三菱鉱業の手によって通洞準以下30m毎に一番坑及び二番坑を堀進して、一時月産60屯、Au10g/t、Ag50g/t平均の精鉱を細倉に送ったが、やがて休山したという。その後、一時帝国鉱発に属した後、長南氏によって稼行されたのだが、遂に休山に陥ったということだ。
 先に、金谷川鉱山の事務所を水晶沢に置いたことにふれたが、それは昭和8年に三菱鉱業の手に移った時のことのようだ。

 ここで、「精鉱は細倉に送った」とあるが、その細倉というのは宮城県の細倉鉱山精錬所のことのようだ。ここで行われていたのは採掘のみで、精錬所はなかったということのようだ。
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by shingen1948 | 2016-07-03 12:27 | 福島の鉱山 | Comments(0)