地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

福島の鉱山⑥~「蛇体鉱山(茂庭)」

 中野銅山跡の位置情報は、「わが大滝の記録」・< 街道Web >の情報と青葉学園の資料で微妙に違いがあるように感じるのだがそのまま記した。それは、経験上どちらも正しい事が起こりえると思うからだ。
 例えば、昭和21年に一度休止になる以前の位置と、昭和23年10月から操業が再開され昭和40年まで操業されるその位置が微妙に違うことは想像される。なお、この再開に伴って青葉学園は大平集落の俎山に移転することになるようだ。

 次は、蛇体鉱山についてだが、「わが大滝の記録」の「鉱山ブームと明治時代の教育」ではこの鉱山を次のように紹介する。
 操業していた時代は蛇体鉱山から胡桃平まで蛇体道を牛に牽(ひ)かせた土橇(どそり)で鉱石が運搬され、西川橋の袂(たもと)に鉱石の集積所が在ったとの伝聞が残っている。
 また、「おいまつ鉱山」の鉱石も同じ場所に集積されたとの伝聞も有るが、「おいまつ鉱山」の場所や詳細は定かでない。この蛇体鉱山は大滝銅山同様鉱床の薄さから大正時代に閉山に至っている。
<蛇体鉱山の正式名称は茂庭鉱山・蛇体鉱…公式文書「福島県鉱産誌」より >

 この蛇体鉱山の位置についてもふれていない。
 それで、「青葉学園」がこの蛇体鉱山の建物を活用して園舎としたのが始まりとのことなので、こちらの資料からその位置情報を頂いた。
a0087378_12411481.jpg 青葉学園の資料では、蛇体鉱山については次のように解説する。
 「蛇体に鉱山があった時代には、鉱石を詰めたかますを人の背で大滝まで運んだ。従ってその道はそれなりに良い状態に保守されていたと思われる。この道は、最初に右に、次には左に、二度ほど直角に曲がるのであるが、それらの曲がり角はまわりより高いので峠と呼ばれ、大滝に近い方がクビト峠で、次が青葉峠である。
 砂たちが移り住んだ蛇体というところは、ドイツ人某が銅の鉱脈を発見した銅山だった所で、その飯場があった」
 なお、青葉学園は、その飯場の中でしっかりしていた事務所の建物を教室と住まいに転用したようだ。また、この地は蛇体の名前通りマムシなどの蛇が多い所だったそうで、その名をきらって、ここを勝手に「青葉谷」と命名していたようだ。
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by shingen1948 | 2016-06-15 12:45 | 福島の鉱山 | Comments(0)