地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島の鉱山④~「大滝鉱山」(含む袖ケ澤鉱山情報)

 「福島の鉱山」で、「大笹生鉱山」が紹介され、その近郊の鉱山として大正2年に富田要之助氏が着手した「袖ケ澤鉱山」という金銀銅山が紹介される。
 板谷大橋が架かる沢の上流部にあるダム付近が袖ケ沢とのことなので、この辺りにあった鉱山らしいと想像した。ここは、沢を挟んだ北側が大笹生で、その沢の南側は山形県米沢市板谷という県境の沢だ。

 「福島の鉱山」では、この次に高子鉱山を紹介されていて、この御近所の鉱山から離れてしまう。しかし、この近辺にはもう少し鉱山があるという。幸いにも、その鉱山が「わが大滝の記録」の明治時代の「第4. 鉱山ブームと明治時代の教育」という項で、古老の話として紹介されるのをみつけた。今回は、そちらの資料の確認をすすめたい。

 その資料によると、中野鉱山・蛇体鉱山・大滝鉱山(葭沢)などが相次いで採掘操業されるのは明治30年の終わりから大正の始めにかけてだという。
 大滝鉱山の位置は、集落の吉田富三郎宅の川向いで、銅鉱石が露出し、純度も非常に高い上に発掘、運搬にも便利だったため大きな利益を上げたそうだが、鉱床は極めて浅く埋蔵量は少なかったのでそう長くは続かなかったということだ。
 集落図と照らし合わせてみると、葭沢橋前の道筋の右手に二軒のお宅があるのだが、その集落に入って直ぐのお宅が吉田宅のようだ。そのお宅の裏手に小川という川が流れるのだが、鉱山はその川向ということになるようだ。
 この吉田氏宅では、鉱山労務者相手に饅頭を売っていたので、後まで通称饅頭屋と言われていたということだ。
 この鉱山の発見者は、光石三平という方で、この方は浮浪の身から一獲千金を勝ち得て話題をさらったという。大滝山神神社の社屋は、この時代にこの成金の光石三平氏が造営寄進されたものなのだとか。

 この資料では鉱山発掘で一獲千金を夢見た山師が登場するのがいい。半田銀山のような完全な成功者だけでなく、プチ成功例もあれば、失敗で脱落していった方もいらっしゃるだろうという影の存在が少し見えた気がする。
 確認していて、もう一つ気づいたのが、ところどころに街道を散策するのにお世話になっている< 街道Web >のTUKA氏が登場すること。
 それで、そちらを確認すると< 寄り道Web >→脇道Webに、「山深い鉱山跡に創設された私立学校」で、中野鉱山、蛇体鉱山が紹介されていた。こちらの鉱山については、こちらも併せて資料にさせていただきながら確認作業をすすめることにする。
 http://www42.tok2.com/home/kaidoweb/waki/aoba.htm
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by shingen1948 | 2016-06-13 08:40 | 福島の鉱山 | Comments(0)