信夫山散歩情報の確かめ~信夫山の魅力と聖性の維持⑮
2016年 05月 23日
現在、鎌田半在家の熊野西側に整備された道筋が走るが、古くは東側を走っていただろうと推定される痕跡を残す。その道筋と石ケ森への直線コースを信夫山まで延ばすと、その途中丸子の条里制遺構付近を通ることになるのだが、そこには今回整理した大覚院が位置している。
そこを、そのまま進めば立石に突き当たり、一気に立石に登って鞍部を下れば今回整理した熊野峠の道筋に重なり、熊野山に辿り着くということかなと思う。
「信夫山巡り【梅宮茂】」では、その熊野山にそう大規模な三熊神社ではなかったが、古くからの三熊神社の基部が無線中継所建設で破壊されたことを記す。
また、この参道の熊野峠から羽黒へ行く途中の古峰原の石塔付近には、昔、幾つかの経塚があったことを記す。近年まで、その中の2つの経塚の土盛りが残っていたとのことだが、こちらも、道を開くときに破壊されたとのことだ。この辺りからは、銅製の経筒の小破片が出土しているということだ。
実証的な裏付けには乏しさはあるが、古くから信仰の場であったと言いたいのだろうと思う。
先に整理した「台畑(南矢野目)周辺を歩く」では、その23で条里制遺構とのかかわりで古代道筋を推定いる時にこの熊野古道の道筋の推定にも触れてはいるが、メインは古代道であり、この熊野古道については副次的な整理の仕方であった。
それで、今回「信夫山の魅力と聖性の維持」という観点から整理し直したところだが、この観点からは、石ケ森と立石の感性的なかかわりにもふれておきたくなる。