地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫山散歩情報の確かめ~寂光寺

 あれからもう4年が過ぎようとしているのだが、まだ信夫山散歩を再開したいとは思わない。ただ、信夫山散歩の記事に目をとめることが出来るようにはなった。
 復興ということにこだわる人々は、信夫山にかかわるイベントを企画し散歩情報を流し続ける。はやく何事もなかったようにしたいということには抵抗があるものの、イベント情報それ自体には違和感を感じなくはなった。
 今回目についたのが、リビング福島「信夫山散歩」で、仙台に移された寂光寺の山号「青葉山」が地名青葉山の由来であることの記事。この情報で遊んでみようと思う。

 昨年末、パソコンの故障で古い写真や散歩記事を確認する機会に恵まれたので、まずは寂光寺にかかわる自分の散歩整理を確認する。
a0087378_20493123.jpg

 これは羽黒神社参道入り口に建っている「寂光寺跡」を説明する案内板だが、確認したら2007年頃に撮ったもの。次のように解説する。
 史跡 「寂光寺跡」
 かつてこの地には、羽黒権現院別当寺(真言宗)があった。そこには多くの修験者(山伏)がいて修行しており、15世紀初めの大仏城(福島城)の合戦には伊達持宗を応援したほどの勢力を持っていた。また、別当座主は、会津塔寺八幡の遷宮式に招かれて導師を勤めるなどの格式もあったのである。
 東北の関ヶ原といわれた松川の合戦には、伊達政宗に従って仙台に移った。信夫山を慕う一部の者は再び戻って復興したが、もはや以前の勢力はなくなり、その権限は福島の真浄院に移された。
 この真浄院との対立は明治まで続けられ、大裁判の結果、寂光院の土地は官有地となり、寺そのものは、廃寺となった。
 福島信夫ライオンズクラブ

 信夫羽黒神社は、古くは羽黒大権現といわれ、信達地方一帯の総鎮守として信仰をあつめた神社で、その信仰は平安時代までさかのぼるとのこと。寂光寺はその羽黒権現院別当寺とのことだが、真言宗寂光寺の勢力も、遠く会津地方にも及んだ記録があるという紹介だ。

 次に、仙台の寂光寺情報をネットで確認してみる。いろいろな情報が流れるが、確からしさの確立が高い情報源として「要説宮城の郷土誌【仙台市図書館】」を選択する。
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by shingen1948 | 2016-02-15 20:53 | Comments(0)