地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

「福島民報」が伝える渡利模擬原爆投下記事⑦

 重点を置いた物的被害防止対策の記事と最近得た物的被害の状況を見比べて、物的被害の実情を想像してみたい。
 まずは、記事の確認。
 ガラス類で特に屋内のガラス戸、窓等であるガラス戸、窓は空襲警報発令と同時に取り除く事の徹底を挙げた。記事では、この被害に遭われた方については、その対策不足例として否定的に報じられるので、被害を見逃してしまいそうになる。
 その被害例1が、「建具を全部ガラス戸とした其家は雨戸も閉めずにゐた為ガラス戸は木端微塵になり棚の品物は落下した。幸ひに人には損害はなかったが現場をみると廊下にぼやっとしてゐた十歳の子供と室内にゐた妻君も怪我一つしなかった事はむしろ奇跡である。」そのぐらい大変な被害を被っているということだ。多分、この被害に遭われた方もこの記事を読んで後ろめたさを感じてしまったのではないかなと想像する。
 その被害例2が、「学校などの如く全部ガラス窓を使用している処は紙を貼る事実施しなければならないのに同所の国民学校は何んの準備もしてなかった。」
 被害に遭った学校は、窓ガラスが割れてしまったのは紙を貼る事をしなかったからだと叱られている。それはともかく、少なくとも民家と学校において、ガラスがほとんど割れてしまったという物的被害があったことは分かる。
 次に、この被害とかかわりそうな前回整理の講演会で得た情報を確認する。以下は、前回の整理の再掲だ。
 北に200mほど離れた学校のガラスも全部吹っ飛んだとあるのは、現在の渡利公民館だろうか。爆音は福島まで轟き、福島駅近くの事務所のガラスも割れ、被害は半径2㎞に及んだなどの状況が説明される。
 今回の企画展と一緒に開催された「語りつぐ『戦争の記憶』」の語り部達の模擬原爆着弾時の体験談を重ねる。その体験場所は「もちづり橋」、「福島旧市内」、「福島駅」とのことだが、かなりの爆風と異変を感じたように語られていた。情報としては、「爆音は福島まで轟き、福島駅近くの事務所のガラスも割れ、被害は半径2㎞に及んだとの状況」ということと重なる体験談だ。

 更に、今回の展示会では、物的被害にかかわる別情報があった。
 「爆風で午前八時三十四分を指して止まっていた柱時計」に添えられた「忘れられない7月20日…」という解説の中に「四方の稲は、カミソリででも切られたように削りとられていて、わが家の屋根瓦も壊され、のちに三千七百枚ほど取り替えました。」とある。
 要は、爆風で屋根瓦は、ほぼ全壊に近い状態にということだ。午前八時三十四分を指して止まっていた柱時計自体も、爆風の強さによる物的被害の一つかな。

 報道内容からは、別の物的被害も読み取れる。
 「爆弾投下後数十分を経てから弾片による小火の発生をみた」とある。爆弾の破片で火災が起きたということだ。被害件数は明らかではないが、多くの破壊用爆弾の破片は、火の玉となって飛んで、火災を起こしたということだ。
 最近得た情報に、「農家2軒が焼け、村中に飛び散った破片で、裸足で耕作ができなくなった」ということがある。この情報と重なる。
 これに、爆弾沼と呼ばれる沼を作るほどの破壊力であったことに加えて実際の被害をイメージすれば、記事から受ける被害のイメージりかなり大きかったように思う。
 逆の見方をすれば、この記事は「被害極めて軽微なり」のイメージ作りに成功しているともいえるかな。
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by shingen1948 | 2015-11-16 08:15 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)