「福島民報」が伝える渡利模擬原爆投下記事⑤
2015年 11月 14日
昨日整理は、東京の地方新聞である「東京新聞(2012/7/18)」で見た「渡利模擬原爆投下で亡くなられた方にかかわる記事」だが、この記事のきっかけになったであろう事がある。
それは、2005年から毎年、市民ミュージカル「人類の破片」が瑞龍寺で上演され続けてきたということだ。
このミュージカルは、米軍が落とした「模擬原爆」と呼ばれる爆弾で命を失った福島市の少年に光を当てたミュージカルで、2005年に初上演されたものだ。そのモデルである少年=斎藤隆夫さんの命日に、瑞龍寺で上演され続けてきたという。
この市民ミュージカルの原作と脚本は、当時、帝国データバンク福島支店長を務めていた赤間裕弥氏とのことだ。
以下は、この初上演にかかわる資料でみた取材時の情報をメモしたことだ。
原作脚本の赤間裕弥氏が、福島の「模擬原爆」を知るきっかけになったのは、昔爆弾沼というのがあったという話を聞いたことだった。この福島の「模擬原爆」は、広島、長崎へとつながる戦時中の悲しい物語が詰まっていることが、脚本の動機に深く結びついていたとのことだ。
模擬原爆と福島への投下の事実を突き止めて、その御遺族を探し出したとのことだが、そのお姉さんと弟は口をつぐんでなかなか話したがらなかったとのこと。
ようやく重い口を開いて訥々と話してくれた弟兄たるタカオ少年にまわる話を聞き出したとのこと。
その情報では、お葬式もひっそりと、隠すようにして執り行われたとのことだが、その理由を「戦地ではない場所で死んでいった子どものことを、声高に嘆き悼むことができる時代ではなく、歳の少年の死は、歴史から葬り去られたのです」としていた。
しかし、ここに昨日整理の世間の価値観を加えれば、近年まで、家族の胸の内にだけ秘されていたというその無念さがもっと深かったということが分かる。
なお、市民ミュージカル「人類の破片」にかかわる近況を知らせる【朝日新聞(2015/8/20)】の特集「『戦後70年 福島から』~模擬原爆 伝え続ける」の記事を見つけた。
http://www.asahi.com/area/fukushima/articles/MTW20150820071380001.html
パソコンが壊れている間に、いろいろな「戦後70年 福島から」の情報が発信されていたようだ。