地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「福島民報」が伝える渡利模擬原爆投下記事②

 「福島民報」は、翌日の昭和20年7月21日、「福島郊外に投弾~水田に大穴・盲爆に市民は奮起」と題して渡利模擬原爆投下を伝えている。福島市史編纂室企画展では、その全文が明確にわかる展示だったので、昨日はそのことを整理した。

 この記事の内容を確認していて気になるのは、被害を最小に見せたい意図が感じられることだが、もう一つ気になることがあった。それが、報じられる爆弾と投下された渡利模擬原爆の実際の大きさとのギャップだ。
 投下された渡利模擬原爆の大きさが、実際には原爆と同じ重さの4.5tであることについては先に整理した。しかし、報道記事では「置き土産に五百キロ爆弾1個を福島市郊外の水田に投弾する」とある。1/10の大きさの500キロで報道されているのだ。
a0087378_594453.jpg 先の整理で、「500キロ爆弾破片 福島市教育委員会蔵」とされる爆弾片を福島市歴史資料館」に展示されていることについてふれたが、このことともかかわるような気がする。
 写真を整理していたら、その表示が見つかったので、ここに貼り付けておく。

 今回の展示会にも「渡利模擬原爆片」は展示されるが、今回の案内表示は「渡利模擬原爆片」となっている。これが、福島民友新聞社論説委員紺野滋氏の講演会の時に示された模擬原爆片と同じものである。瑞龍寺の破片に比べて、やや焼けただれているような気がする。
 これが、先に「昭和20年福島市渡利に降下(投下)セルモノ」と紹介され、裏に「米軍500キロ爆弾破片」として整理されているものなのかどうかは、ケースに入っていて確認できなかった。

 何故1/10に縮小されているかということだが、いろいろ確認していくと、当時の日本で考えられる爆弾の最大の大きさが500kgであったことが分かる。でかい爆弾=500kg爆弾というのが、当時の常識だったらしいということだ。
 それで、大きい爆弾を「500キロ爆弾」と固有名詞化されているような感じだ。
 実際の普通の空襲のイメージは、何百機もの飛行機が編隊を組んでやってきて、焼夷弾の雨を降らせていく中で、いくつもの爆弾を投下するということのようだ。その中のでかい爆弾が、「500キロ爆弾」というものだったということのようだ。

 ところが、実際の模擬原爆(パンプキン)投下の空爆は、単機あるいは少数機のB-29がやってきて、1個の巨弾を投下して去っていくという独特のスタイルのようだ。
 これが、どうも500キロのでかい爆弾よりももっと大きいぞということで、超大型爆弾のイメージで、「1トン爆弾」という情報もある。半沢氏の「歴史地図」のメモでは、「1トンか?」と表記されていて、こちらが採用されている。
 実際に渡利に落とされた模擬原爆は4.5tで、日本で考える超大型爆弾のイメージと比べても、更に4~5倍の大きさだったということだ。
 これは、意図的に小さく見せようとしたのではないと思う。日本で最大の爆弾とイメージする爆弾の約10倍の大きさの爆弾が投下されたとみるべきなのだろう。B29は、その想像を絶する大きさの爆弾を運ぶことができる飛行機だったということでもある。
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by shingen1948 | 2015-11-11 08:08 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)