福島市史編纂室企画展から~「グランド0地点」③~羽田徳治氏証言
2015年 11月 08日
この時計については、先に「模擬原爆と福島⑨~渡利の模擬原爆にかかわる遺物情報②」で整理している。
http://kazenoshin.exblog.jp/16747904/
この時計は、福島市のホームページの「原爆にまつわる福島の悲劇」でも紹介それている。なお、このページで紹介される模擬原発の破片は、福島市渡利の瑞龍寺に保管される破片だが、この企画展では、福島市歴史博物館が所蔵する方の破片が紹介される。
http://www.city.fukushima.fukushima.jp/soshiki/1/15.html
今回整理の模擬原爆投下地点の想像とかかわるのは、ここに添えられた羽田徳治氏の「忘れられない7月20日…」の以下の部分。
昭和二十年七月二十日その日はどんよりと曇った日でした。朝、私は庭で鎌を研いでいました。突然、重々しいエンジン音が聞こえ、シューと物が落ちてくるような音がした瞬間、キ―ンという耳なりがして何も聞こえなくなったことを覚えています。爆弾が落とされたのは、渡利字四反田(現沼ノ町)というところで、私の家の田んぼでした。飛行機は見えませんでしたが、東南の方から飛んできたように思います
展示された「忘れられない7月20日…(羽田徳治氏)」全文は以下の通り。
忘れられない7月20日…
羽田徳治さん(渡利69才)
(時計を膝に抱えた写真)
昭和二十年七月二十日その日はどんよりと曇った日でした。朝、私は庭で鎌を研いでいました。突然、重々しいエンジン音が聞こえ、シューと物が落ちてくるような音がした瞬間、キ―ンという耳なりがして何も聞こえなくなったことを覚えています。
爆弾が落とされたのは、渡利字四反田(現沼ノ町)というところで、私の家の田んぼでした。飛行機は見えませんでしたが、東南の方から飛んできたように思います。四方の稲はカミソリでても切られたように削りとられていました。
わが家の屋根瓦も壊され、のちに三千七百枚ほど取り替えました。爆風で午前八時三十四分指して止まっていた柱時計を、今も大切に保管しています。
「恒久の平祈念して 福島市戦後50年記念事業」より