地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

福島市史編纂室企画展から~「グランド0地点」③~羽田徳治氏証言

a0087378_3205411.jpg 「8時34分を指して止まった柱時計(福島市 羽田穂一氏蔵)」は、福島民友新聞社論説委員紺野滋氏の講演会の中で、スライドで紹介されたものの実物だ。
 この時計については、先に「模擬原爆と福島⑨~渡利の模擬原爆にかかわる遺物情報②」で整理している。
 http://kazenoshin.exblog.jp/16747904/
 この時計は、福島市のホームページの「原爆にまつわる福島の悲劇」でも紹介それている。なお、このページで紹介される模擬原発の破片は、福島市渡利の瑞龍寺に保管される破片だが、この企画展では、福島市歴史博物館が所蔵する方の破片が紹介される。
 http://www.city.fukushima.fukushima.jp/soshiki/1/15.html
 今回整理の模擬原爆投下地点の想像とかかわるのは、ここに添えられた羽田徳治氏の「忘れられない7月20日…」の以下の部分。
 昭和二十年七月二十日その日はどんよりと曇った日でした。朝、私は庭で鎌を研いでいました。突然、重々しいエンジン音が聞こえ、シューと物が落ちてくるような音がした瞬間、キ―ンという耳なりがして何も聞こえなくなったことを覚えています。爆弾が落とされたのは、渡利字四反田(現沼ノ町)というところで、私の家の田んぼでした。飛行機は見えませんでしたが、東南の方から飛んできたように思います

 展示された「忘れられない7月20日…(羽田徳治氏)」全文は以下の通り。
 忘れられない7月20日…
 羽田徳治さん(渡利69才)
 (時計を膝に抱えた写真)
 昭和二十年七月二十日その日はどんよりと曇った日でした。朝、私は庭で鎌を研いでいました。突然、重々しいエンジン音が聞こえ、シューと物が落ちてくるような音がした瞬間、キ―ンという耳なりがして何も聞こえなくなったことを覚えています。
 爆弾が落とされたのは、渡利字四反田(現沼ノ町)というところで、私の家の田んぼでした。飛行機は見えませんでしたが、東南の方から飛んできたように思います。四方の稲はカミソリでても切られたように削りとられていました。
 わが家の屋根瓦も壊され、のちに三千七百枚ほど取り替えました。爆風で午前八時三十四分指して止まっていた柱時計を、今も大切に保管しています。
恒久の平祈念して 福島市戦後50年記念事業」より

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by shingen1948 | 2015-11-08 08:18 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)