鳥渡山王社付近の風景~茶畑遺跡②
2015年 10月 29日
その花壇が、こちらなのだと思う。
こちらは詳しく紹介されるが、案内板では、「平安時代の土師器製造作業場跡」については詳しく解説せず、「約1100年前の『平安時代』に村があったことがわかりました」との解説で集約される。
位置的には、ここは「毘沙門堂」跡に近いのだが、権兵衛屋敷や信夫塚を整理した後にした。それは、ここで感じた時代の流れの襞とのかかわりにもこだわってみたかったからだ。
「鳥渡山王社付近散歩の振り返り」で整理したように、「二階堂氏」を感じようとしたことが、今回の散歩の大きな見え方の変化なのだと思っている。
信夫の里の「佐藤氏の支配時代」から頼朝の東北侵略を経て、この信夫鳥和田には鎌倉幕府評定衆二階堂氏の一族庶子が派遣さるのだが、その「信夫鳥和田」が今回散歩の鳥川付近ということだ。
このことによって、感覚的には、この時代の信夫の里が少し見えてきたような気分になれている。
せっかく感じたこの時代の流れの順序性のようなものとかかわらせて近隣を眺めたかったという思いだ。
荒い捉え方なら、半沢氏のメモの前半の「古墳時代(6~7世紀 約1200年から1200年前の竪穴住居跡)」は、先の散歩で整理した「稲荷塚古墳」や「大森の古墳」等の散歩とつながりを感じ、メモの後半「平安時代の土師器製造作業場跡」は、佐藤氏の影を感じる平安末期との連続性を感じたような気分になれるということだ。
散歩資料には、ここから荒井村まで足を延ばす間には、更に時代を遡った時代の遺跡が重なる地域があったり、佐藤氏の影を感じたりすることができそうなところもありそうなことも見受ける。