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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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鳥渡山王社付近散歩の振り返り②

 「ふくしまの歴史ダイジェスト版」では、伊達氏の資料である「伊達氏段銭帳」を元に伊達氏支配前の信夫の里を解説する中で、二階堂氏も登場するという紹介だ。
 この紹介でも、信夫の里に二階堂氏の影は見えているのだが、その主体は伊達氏だ。時間的な流れについても、伊達氏が信夫の里を支配下に置いた時代から逆に眺めている。
 今回の散歩では、それが時間の流れ順に見えていたということなのだと思う。
 そうすると、伊達氏が、伊達の里にあって、信夫の里にいなかった時代が意識され、そこに二階堂氏がいたというような感じの認識だ。今回の散歩では、その辺りが補正されたのかなと勝手に思っている。

 「ふくしまの歴史ダイジェスト版」の信夫の里の紹介をもとに、信夫佐藤氏が信夫の里を支配していた時代から、時の流れに沿ったベクトルで整理してみる。

 信夫佐藤氏が信夫の里を支配していた時代は、信夫庄の北部「北郷」を中心に支配していたとのことだ。当然、この時代に二階堂氏や伊達氏の影は見えてはいない。
 支配の主要な地域は摺上川と松川の間の信夫庄の北部(北郷)ではあったろうが、信夫の里全体を眺めていたはずではある。
 この地域の防御を意識すれば、今回の散歩で二階堂氏の影をみようとした鳥川から荒井にかけては、南のもう一つの要の地点ではあったはずなのだと想像する。ここは、位置的に信夫の里の南西隅にあたり、会津や米沢などへ続く道筋の要所でもある。
 このあたりでも、佐藤氏の影がちらちらと見えるというイメージかな。

 頼朝の東北侵略が、この時代のこの地域の大きな転換点の一つだったろう。
 その東北侵略後、その家臣の恩賞とかかわって、この信夫鳥和田には鎌倉幕府評定衆二階堂氏の一族庶子が派遣さるのだが、その信夫鳥和田が今回散歩の鳥川付近であり、この二階堂氏が、南西隅の地域を治めるようになっていたらしいということだ。 
 この時点では、先に整理したように、伊達氏は伊達の里を中心に支配するようになっていたということだったろう。この時代には、「北郷」には信夫佐藤氏の勢力は温存されたままだったと紹介する資料が多い。
 それで、この時代の支配者勢力関係を概観すると、「北郷」の佐藤氏・「名倉」の二階堂氏、そして、伊達の里の伊達氏という分布イメージを持ってこの時代の散歩資料を読めば、すっきりと読める気分になれるということのようだ。
 今回の散歩では、この襞の部分にふれた感じがしたというようなことかな。
by shingen1948 | 2015-10-24 07:01 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)