鳥渡山王社付近の風景~「毘沙門堂」
2015年 08月 28日
方向的には朝日舘の北東だ。位置的には観音寺近くのような気がする。
この絵図は、そこで切れていて、観音寺がどう描かれているかも知らないので、その関係性を確認することができない。ただ、震災前の散歩で山王社の別当寺が山王社と朝日舘の間にあると仮定していたことは誤りだったということは確実だ。その部分を訂正したい。
その位置だが、半沢氏の「歴史地図」に描かれる「毘沙門堂」付近が関係しないかなと再び勝手な想像をしてみた。しかし、それも違っているようだ。「信達二郡村誌」を確認すると、この「毘沙門堂」がかかわるのは、「天台宗多門寺」という桜館館主の菩提寺とのことだ。
この館主天童帯刀定義氏は、天正年中に「邑を仙台に移す」とのことなので、伊達政宗公にかかわる方なのだろうと想像できる。
「毘沙門堂」について、「信達二郡村誌」の上鳥渡村の寺の項には、次のように紹介されている。
毘沙門堂整理すればそういうことだが、散歩中はもう一つの雑念もあった。毘沙門堂には、米沢道、会津道、山王道にかかわる道標があるという情報だ。毘沙門堂跡を探したのは、その情報の確認という意識が強かった。
東部茶中に在り 官有地 本尊は石像なり 伝へ云う 建久中此地に天台宗多門寺と云へる寺有り 桜館館主の菩提寺たり 当時毘沙門堂は七間四面にして 極めて荘厳なりしが 天正中天童帯刀定義邑を仙台に移す 後頽敗に及び 且つ寛文元辛乙丑年今の堂を再建すと 縁日九月九日堂縦一間三尺 横一間二尺