地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー

山田村の散策振り返り⑭~好国寺②

a0087378_1132852.jpg 屋根のかかる右側の石碑は、「當寺仲興開基教山意休居士」と刻まれた文字が読める。これが、「信達ニ郡村誌」に「本堂の南に碑有り 正面に当寺中興開基教山意休居士 右側に右意休居士者寄進田畑山林建立殿堂」と紹介される碑であることが分かる。
 この左側の石碑は、「昌室○久大姉」と刻まれる文字が読める。

 「半沢氏のフィールドワーク地図」の「再興 山田意休夫妻墓碑 宝永元年(1704没)」とメモされる山田意休夫妻墓碑であろうことが推測される。
 ここでは、山田意休氏は、寛永7年(1630)頃上杉氏の新田開発奨励政策により帰農した長尾久右衛門氏で、山田村を開拓した元米沢藩上と紹介される。
 「ふくしま散歩(小林金次郎著)」では、好国寺の開基について「元禄8年(1695)、伊達家の一藩主長尾意休(久衛門)が、娘の供養に建てたもの」と紹介する。

 「福島県歴史資料館収蔵資料目録」に、「長尾家文書(福島市)」について以下の紹介を見る。
 (長尾氏の)祖は上杉家旧臣といわれ、福島藩の割元や福島元町検断等を務めた長尾家に残る史料群で、由緒に関する史料など13点。
  同家の先祖で、江戸時代前中期に、森合村(現福島市森合)に潜龍庵を建てた耀山と、その兄で山田村(現福島市山田)に好国寺を再興した山田意休の墓所に関する史料がみられる。
 ここでも上杉家臣と紹介される。
 注目は、「好国寺を再興した山田意休の墓所に関する史料がみられる」とあることと、森合村(現福島市森合)の潜龍庵は、その弟が建てたとの紹介。
 
 先に「信仰の山:信夫山「養山口の清水」」を整理した中の「月山神社山道入口案内板」説明では、この森合村(現福島市森合)の潜龍庵にふれている。
 http://kazenoshin.exblog.jp/7921394/
 更に、「福島県歴史資料館収蔵資料目録」の「満願寺文書(福島市黒岩)」について、その末寺としてこの「潜龍庵」にふれて紹介されるのを見る。
 「満願寺文書(福島市黒岩)」
 満願寺は、境内にある虚空蔵堂の別当寺的存在として、 近世初期に成立した臨済宗妙心寺派の寺で、本寺は米沢の法泉寺である。
 末寺2か寺があり、一は福島市土湯の興徳寺(現在は兼務)、 一は同市森合にあった潜龍庵である(黄檗宗で明治以前に廃庵となったらしい)。
 火災に遭わなかったため、文書の残りがよい。 書籍類を除いた1098点の文書からなるが、内容は豊富で、臨済宗関係文書の基本となろう。明治8年8月、 臨済宗中教院となったため、この時期の文書も多い。
所有者の要望により資料を返却したため、現在は閲覧不可能。

[PR]
by shingen1948 | 2015-06-26 11:07 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)