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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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今までの山田村の散策振り返り

 いい風景だなと思うようなところでも、近くにスポットライトが当たる地点があると、そのスポットライトの陰の部分に入ってしまい、その風景は見向きもされないことがある。
 今回の山田村の散策は、そのような風景のよさを表現しようとする試みでもあったように思う。これが結構難しかったのだが、今思えば次のような視点で整理してみようとしたように思う。
 ○ 懐かしい風景としての一コマとその背景について
 ○ 数少ない史跡や伝説などを拾う
 ○ スポットライトが当たる地点とのかかわり

 「懐かしい風景としての一コマとその背景について」という視点では、信夫地方の吾妻沼神社の伝承とからめて山田村を中心に、里山沿いに広がる田園風景を眺めてみた。 
 そして、半沢氏の「歴史地図」を中心資料として、その開発の歴史を眺めて見た。
 まずは、山田村の上杉氏時代の開発の視点で風景を眺め、次に、小田村の関宿藩大森陣屋に統治されている時代の開発に視点を当ててその風景を眺めて見た。
 更に、此の視点では戦後の開拓者入植による開発もあるようだが、今回は半沢氏の「歴史地図」に記される次のようなメモの転記にとどめる。
 
戦後の開拓者入植
 平田(22戸)北焼野(41戸)平石(7戸)、主に畑作(陸稲・麦・果樹桃)それに酪農
 北焼野は昭和34年頃から開田→水田へ、又は、離農……
 「スポットライトが当たる地点とのかかわり」という視点では、今回は山王道を中心に散歩した。その山王様は、何度も訪ねたがまだ整理していない。
今までの山田村の散策振り返り_a0087378_5551175.jpg 今回散策した範囲の道筋でまだ整理していないのが、山王道から荒井への道筋を案内する道標と庚申の道標だ。
 「歴史地図」と見比べると、こちらがその山王道から荒井への道筋を案内する道標だとも思うのだが、今のところ確認できない。もし、その道標なら「右 山王」「左 あらゐ」が刻まれているということだが、刻まれる文字の確認ができていない。
 次の道筋の候補地付近には、庚申の道標があるはずだが、その石塔自体が見つけられないでいる。
by shingen1948 | 2015-06-07 05:57 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)