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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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正眼寺~信夫33観音とのかかわりで

 旧信夫33観音は、江戸期の開創で、信夫郡の西国三十三所とされるが、すべて福島市内に設定される。その中の20番川寒観音堂(北沢又川寒)は、この金福寺がかかわっていたのではないかなと想像される。 ただ、昭和4年(1929)後藤要七氏によって再興されたという新信夫33観音では、この川寒観音堂は外れている。

 この信夫33観音を少し意識したのは、米沢街道を散策している時だった。特に、新信夫33観音では、森合から笹木野にかけて、正眼寺―円光寺、そして笹木野の仏母寺まで連続的に札所になっていたことだった。
正眼寺~信夫33観音とのかかわりで_a0087378_16583044.jpg
 旧信夫33観音では、8番西養山観音堂(森合一盃森)が正眼寺とされ、15番佛母寺(笹木野寺畑)とされていた。それが、新信夫33観音では29番正眼寺(森合一盃森)―30番円光寺(野田町寺ノ内)―31番仏母寺(笹木野寺畑)というふうに設定されているようだったのだ。

 散歩の中で、円光寺(野田町寺ノ内)と仏母寺(笹木野寺畑)の観音堂については、このことにふれて整理していたが、旧信夫33観音では8番西養山観音堂とされ、新信夫33観音では29番正眼寺とされる観音堂についてはふれていなかった。
 実は、その観音堂らしきものが見つかっていなかったのだ。それが、最近になって分かったのが、その観音堂は公開されていないらしいということだ。
 信夫33観音とかかわる寺の整理でも、必ずしもそのことにふれていないことも結構多いという気まぐれな整理なのだが、見つからないのと整理していないというのは別ものだ。それが分かったことで、結構すっきりとしたということ。
by shingen1948 | 2015-05-21 16:59 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)