地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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再び仙台散歩36~榴岡公園周辺散歩

 今回の榴岡公園周辺の散歩の様子を地図で確認しておく。
a0087378_517748.jpg 黄色の線が、今回歩いた道筋推定。仙台駅からサンプラザホールまではこの道筋だが、ここから寺町を歩いた様子は、撮った写真に写っていた風景と記憶にある事を元に推定している。榴ヶ岡公園に入ってからは、実際にはもっと歩きまわっている。
 赤線が断層線だが、こちらは仙台に出かける前に詳細図を元に地図に書き込んだものを準備していたので、散歩中も意識していた。
 緑の東十番丁の通りと孫兵衛の水路は、整理する中で確認した事だ。

 散歩中意識していたのは、この周辺の歴史的な背景だ。
 「隆起の大地に桜の名所/長町―利府線断層帯/みやぎ地形紀行(14)【河北新報(夕刊2015/2/23)】」では、この地の歴史的な背景について仙台市歴史民俗資料館の佐藤雅也学芸室長談として、簡潔に整理されている。
 http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201502/20150223_15052.html
 以下のように、「榴岡は古代から現代に至るまで特別な場所」と説明する。
 古代陸奥国に律令(りつりょう)国家の出先機関である国府多賀城(多賀城市市川)や、官寺の陸奥国分寺(仙台市若林区木ノ下)が置かれた当時、近畿から訪れた都人はこの地をツツジの名所として歌枕に詠んだ。
 藩制時代には、天満宮が現在の青葉区東照宮から遷座。仙台藩はこの高台に材木蔵や米蔵を設置した。4代藩主伊達綱村は生母三沢初子の冥福を祈って釈迦堂を建て、参道に枝垂れ桜を植えて四民遊覧の地とした。
 明治に入ると陸軍兵舎が建ち、軍都仙台の要に。戦後は進駐軍が兵舎を接収、返還後は東北管区警察学校になった。都市公園として整備が本格化したのは、警察学校移転後の1970年代半ば以降だ。
 この中の「藩制時代」と「明治」の時代の様子については、移動された施設を確かめてみたいということはあるが、散歩としては一応完結している。
 「古代陸奥国」の時代は、長町利府断層線に近い古代の道筋があって、その途中に「官寺の陸奥国分寺(仙台市若林区木ノ下)が置かれた」ようだが、こちらの散歩はまだ完結感がない。
 いつになるかは分からないが、機会があったら歩いてみたいとは思う。
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by shingen1948 | 2015-05-02 05:20 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)