再び仙台散歩⑤~「名掛丁藤村下宿「三浦屋」跡」情報②
2015年 03月 22日
その沿革を確認すると、昭和21年5月1日宮城第一病院として、仙台市名掛丁120番地に開設したとある。
当初内科15床の小さな病院だったようだが、昭和57年10月に移転して「東北厚生年金病院」に改称するまで、外科・婦人科・眼科、耳鼻咽喉科・小児科、整形外科、放射線科・神経精神科、皮膚科、泌尿器科、歯科増設呼吸器科、循環器科、気管食道科270床と次々に増設されたようだ。土地区画整理事業とのかかわりで15年ほど廃墟のままになっていて、取り壊されたのは平成9年(1997)7月末頃のようだ。
この宮城第一病院であった頃の病院跡地が名掛丁藤村下宿「三浦屋」跡だとするのが、「仙台観光コンベンション協会」の「新・仙台の魅力発見/12の散策コース」のページ。この情報が、藤村広場に掲げられる各案内の原点になっているのだろうと思う。http://www.stcb.or.jp/sansaku/course02/index.htm
その「宮城野の歴史をたどる路」で、「三浦屋跡」については、次のように解説する。
JR仙台駅東口からほど近い名掛丁と東六番丁角の東側。ここに、かつて島崎藤村が下宿していた宿、三浦屋跡を示す案内板があります。ここで、「三浦屋跡を示す案内板」とするのは、掲げられる写真から平成6年(1994)6月頃に町内会青年部が案内板を設置した案内板である事が分かる。
実際に建っていたのはこの南側の以前宮城第一病院のあった場所です。藤村はこの宿で仙台での生活のほとんどを過ごし、東北学院の教師を勤めるかたわら、「若菜集」などを著しました。
「市井にありて」には、『…三浦屋という古い旅人宿と下宿をかねた宿がありました。若菜集にある大部分はあの二階で書いたものです』とあります。
●宮城野区名掛丁120