再び仙台散歩③~つつじが岡の島崎藤村「草枕」プレート詩碑
2015年 03月 19日
「草枕」の8節の「夜(よる)白河を越えてけり」に続いて、9節で「道なき今の身なればか/われは道なき野を慕ひ/思ひ乱れてみちのくの/宮城野(みやぎの)にまで迷ひきぬ」。そして、プレートに刻まれる以下の10節。
心の宿(やど)の宮城野よ。その宮城野原は、古代仙台地方陸奥国分寺が所在した原野で、和歌の歌枕でもあるのだとか。古代、多賀城に向かう東(あづま)街道の道筋にもあたり、軍事上の拠点でもあったのだとか。
乱れて熱き我が身には
光も射さず、草が枯れ、
荒れた野こそ相応(ふさわ)しい。
この原野は、位置的には広瀬川の河岸段丘と底平な扇状地一帯とのことで、このつつじが岡付近もその風景に含まれるようで、「草枕」のプレート詩碑が掲げられることも勝手に納得する。
藤村については、誰しもが読んでいるだろう作品しか知らない。
しかし、近代文学の場合は、作品はその人の生き方とのかかわりが色濃いものなそうだ。それで、文学に詳しい方はその生き方と絡めて評価するということのようなのだ。
島崎藤村氏の場合、その生き方とのかかわりで、仙台に関わる事を誇りに思う人と思わない人がいらっしゃるようなのだ。
この「草枕」は、その誇りに思わない人にとっては、その題「草枕」と第3節の想い余って旅に出て、幾度かの草枕を重ねたとした上で、以下の第7節から続いて文学碑に刻まれる第10節の芭蕉気取りが鼻につくのかもしれない。
八 されば落葉と身をなして
風に吹かれて飄(ひるがへ)り
朝の黄雲(きぐも)にともなはれ
夜(よる)白河を越えてけり
九 道なき今の身なればか
われは道なき野を慕ひ
思ひ乱れてみちのくの
宮城野(みやぎの)にまで迷ひきぬ
十 心の宿(やど)の宮城野よ
乱れて熱き吾(わが)身には
日影も薄く草枯れて
荒れたる野こそうれしけれ